ちょっと、おてあらい。

 ちょっと前に読んだ、斉藤憐『ジャズで踊ってリキュルで更けて 昭和不良伝 西条八十』(岩波書店)の抜き書きをふたたび。図書館に返すまえに。そのうち買ってもういちど読みたい。

 伊庭孝は、今度はJOAKNHK)に出演し、「東京行進曲」の歌詞が下劣だとかみついた。
 八十は、「東京行進曲」を堕落というなら、私より、それを好んで口にする大衆を責めればいい」と反論。(93ページ)

 先頃、国会議員のプライバシーを書いた週刊誌を裁判所が出版禁止にした。検閲制度の復活だと問題になるかと思ったら、「こんな程度の低いもので表現の自由とは笑わせる」という意見が新聞に出て、平成の世になっても識者が国家権力に鈍感なことは変わっちゃいないことがわかった。(94ページ)

 ぼくは、この時代に転向した人々を批判する気になれない。大衆から無視された彼らの絶望の深さ、孤立感を想像できない僕たちは、湾岸から遠く離れた極東の島から中東の戦争を見ているようなものだから。
 この島国の民草は、帝国主義戦争阻止を掲げ、獄中で闘っているアカのことなど念頭になかった。(128ページ)

 この昭和十五年、服部良一は二つの名曲を作っている。渡辺はま子が歌った「蘇州夜曲」。

  君がみ胸に 抱かれて聞くは
  夢の船唄 恋の唄
  水の蘇州の 花散る春を
  惜しむか柳が すすり泣く

  花を浮べて 流れる水の
  明日の行方(ゆくえ)は 知らねども
  水に映した 二人の姿
  消してくれるな いつまでも

 服部良一は、この曲を書くため、現地蘇州におもむいてすっかり中国ファンになった。
 八十は例によって、「泣いているのは柳」「二人の姿は男女ではない」と弁解を用意していたが、すぐさま発禁になった。(177ページ)

 八十はひとりよがりの詩よりも、多くの人に喜びを、慰めを、励ましを与える歌詞のほうがどんなに社会的意義があるかと二つの例を引いている。
 十八歳のジョン・ホワイト・ペインによって書かれた「ホーム・スイート・ホーム(埴生の宿)」は、アメリカ移民たちに懐かしいイギリスの故郷を思い出させ、波止場には帰国しようとする人々の群れが押し寄せた。で、「イギリス政府は驚愕して、「ホーム・スイート・ホーム」を唄うことを禁止した」。
 もう一つは、「フランス大革命当時、「サ・イラ」という一片の流行歌が、どんなに民衆を激励してあの空前の大変革を助けたか」と。
 歌の力をそれほど信じているなら、進んで若者を戦場に駆り立てる詩を書くこたあないじゃないか。(190ページ)

 敗戦後のように、すべての日本人が「失ったこと」を共有した時代はなかった。この時代の流行り歌だけが、時代性を色濃く持っているとともに、国家や資本の介入がない国民自身の歌だった。(200ページ)

 CIEは、これまでの日本映画が愛情表現を規制してきたのは封建制の証だと、映画に接吻シーンを挿入するように映画各社に勧告した。(206ページ)

 全国の工場に巡回した新劇人の演劇体験は、ただ負の意味しかなかったのか? いつも官憲の弾圧に曝され、世間から白い目で見られていた築地時代、新劇人は貧困のどん底にいた。新劇人が革命の主体と考えていた民衆は、ルバシカを着て築地小劇場に参集した若者たちではない。移動演劇によってはじめて、演劇で飯を食ったことと、本物の民衆に出会ったことが重要だと思う。西洋近代劇を上演する機構のととのった築地小劇場で育った演劇人が、それまで芝居がきたことのない学校や公民館へ行って、劇場機構のないところで演劇が成り立つことを知ったはずだ。(214ページ)