ジャズで踊ってリキュルで更けて。

斉藤憐『ジャズで踊ってリキュルで更けて 昭和不良伝・西條八十』(岩波書店)より引用。

《お遊戯歌「むすんでひらいて」は賛美歌に当て詞をして作られた。
 お遊戯で一斉に動作をする訓練が、礼式から隊列運動、兵隊式体操という「国民身体改造計画」の始まりだったと指摘したのは安田寛である。安田は言う。「「結んで開いて」が登場した翌年の明治四十三年には(幼稚園児が)三万八千人に増加していた。一斉に同じ動作をすることを身につけたこの園児たちが壮年に達した頃、日本国は太平洋戦争に突入した」(『唱歌という奇跡・十二の物語』)》21ページ

《人間は元来、斉唱することが好きじゃない。社会的動物として共同生活を送るために、国家や校歌を斉唱するのであって、実はイヌイットのように好き勝手にそれぞれの唄を歌っていたいのではないか。
 西洋で、和声学が完成したのは、宗教音楽のせいだ。地上の万物に、神さまがおわすと感じるのではなく、西洋人は自らに似せて神を創った。だから、その神は人間が感じる美しい音楽を美しいと感じ、みんなから讃美されるのがお好きらしい。老若男女が声をあわせて神を讃えるには、四声からなるハーモニーが必要だ。美しいハーモニーを創るには、不協和音を排除する必要がある。
 合唱とはそれを聴き楽しむ人(神・王・観客)のための音楽だ。小泉文夫は、アフリカ諸国の人々は相当複雑に入り乱れたリズムを使って唄を歌うが、王立の合唱団になると、とたんに斉唱になると指摘する。》28ページ