日記

ロバート・バドロー『ブルーに生まれついて』Born to Be Blue(2015)を観ました。

ジャズ・ミュージシャン、チェット・ベイカーをイーサン・ホークが演じた伝記映画。 私はこういう映画が作られたのを知ってから、改めて、というかほとんど初めてチェット・ベイカーの音楽を聴いてみたくらいで、この映画に描かれていることがどれくらい事実…

本を読みながらアイロンをかけることはできない

今日は映画を観なかった。 やらなかったことを書くのも変だけど、最近は映画を観ない日はそういう感じがする。「映画を観なかった」という感じが。 このところは早く帰るようにしているので、ひとり食事を作って食べ洗濯機を回しつつシャワーを浴びて出てく…

音楽にはそういう力がある

ラジオで聴いたり人から聞いたりした話なんですけど、ある音楽家は「音楽は万能だから何でも表現できる」といってて、別のある音楽家は「好きな人に幸運しか起こらない魔法をかけられる音楽を作りたい」んだという。どちらも音楽なら本当にできるような気が…

長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』

最近読んだ本。アメリカのヒップホップの歴史をライターの長谷川町蔵さんと学者の大和田俊之さんが対談で概説。「ヒップホップは音楽ではない」「ヒップホップは『少年ジャンプ』である」「ヒップホップはプロレスである」「ヒップホップは『お笑い』である…

TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」2015.09.11放送回より聴き起こし

毎週末聴いている、このラジオ番組。先日8/28の放送で、「選曲請負人・菊地成孔が女の子のためにひと肌脱ぎます『菊地成孔のミュージックプレゼント!フォー・ウーマン・オンリー』」という特集があり、その後日譚として9/11の放送で菊地成孔さんが話されて…

音楽、街

シンガー、市川愛さんのライブを、9/11中洲ジャズブルーステージ、9/13福岡市のパブ「Habit」で見ました。心から楽しかった。 そしてライブのあと、検索していたら市川愛さんがフィッシュマンズの「いかれたBaby」をカヴァーしている(Monolog+Ai Ichikawa「…

こだま和文を読む

ここには、ひとつ前の日記に書いたようなことを書いていこうと、それを書いた9月6日には思ったのですが、次の日にはもうその気持ちは薄れていて、結局今まで通りです。9月5日に書いたようなことは、また書くかもしれませんが。 こだま和文『いつの日かダブト…

窓の外を見ると

わたしは今、朝七時頃起きて自分の朝食を作って食べ、そのあとストレッチ。午前中は小説を書き、昼食をわたしか家族の誰かが作ってそれを食べる。昼食後二時くらいまでは本を読んだりウクレレの練習をして、二時頃から三時頃にかけてコーヒーメーカーで家族…

朝はパン

1. ある男性のミュージシャンはステージに上がるとき、理性によって自分のリビドーを抑えてはならない。と語った。たとえば女性アーティストと共演する。現実で彼女と社交する際には、例えば彼女に対して性的な感情を持ったとしてもそれは抑えらえる。しかし…

大橋マキ『アロマの惑星』を読みました。

大橋マキ『アロマの惑星』(木楽舎、2005年)を読みました。 元アナウンサーで、アロマセラピストの著者によるアロマにまつわるエッセイ。軽めのエッセイだからといって、からっぽとかテキトーなものとはぜんぜん感じられず、真面目で誠実で、肩肘張らない、…

横尾忠則『名画 裸婦感応術』からの抜き書き(続き2)

横尾忠則『名画 裸婦感応術』(光文社 知恵の森文庫、2001)からの抜き書きを引き続き。これで終わり。 その絵は女性のポートレートだった。ぼくはしばらく立ち止まってその絵の女性と向き合っていた。ぼくはお酒は一滴も飲んでいなかったけれども、人いきれ…

『名画 裸婦感応術』からの抜き書き(続き1)

ピカソがあれほどまでに影響を受けたというアフリカやイベリア彫刻だが、彼が興味を持ったのはあくまでも彫刻の表層部分である。ここでぼくにはひとつの疑問と不満が生じるのである。 あれほどピカソがこれらの彫刻から強烈な霊感を得たのだったら、なぜ彫刻…

横尾忠則『名画 裸婦感応術』から抜き書きする/福岡市美術館『肉筆浮世絵の世界』展

昨日の日記に書いた借りた本からの抜き書き。 横尾忠則『名画 裸婦感応術』(光文社 知恵の森文庫、2001) この裸の女性はムーランといって当時19歳位である。「草上の昼食」の前年の作品「闘牛士姿のヴィクトリーヌ・ムーラン」で初めてマネのモデルになり…

佐藤伸治の新曲を聴いたこと/友人のこと/Do You Believe in Magic?

昨日、わたしは「今日は完全にオフ!」と決め込んで午睡をしていたら、夢のなかで1999年に亡くなったフィッシュマンズの佐藤伸治が新曲を披露してくれた。わたしは嬉しいのと心地いいのと、少し怖いみたいな気持ちで目が覚めた。 どんな曲、歌だったか今はも…

なんと「円い」月が出たよ窓

ふとしたきっかけで尾崎放哉の俳句を思い出していた。放哉の俳句は、覚えていて「持ち歩ける」感じが好きだ。俳人や歌人の方はご自身の作品や、好きな作品、影響を受けた作品をたくさん持ち歩いているのではないか。棋士の方なら、頭のなかにたくさんの棋譜…

たのしいことばかりありますように

朝から入念に、自分の身体をマッサージしながらシャワーを浴びて、ストレッチをした。それから、ユーカリとティートゥリーのエッセンシャルオイルをブレンドした化粧水とスプレーを身体に。朝食にはキュウリの浅漬けと生野菜(タマネギとゴーヤ、セロリ)を…

最相葉月『セラピスト』から引用する

結局今日は夜になりました。一ヶ月ほど前に読んだ、最相葉月さんの、精神医療、カウンセリングに携わる人々に取材したノンフィクション『セラピスト』にたくさん付箋をつけていたのを、読み返してみて、抜き書きしたくなったので、してみます。たくさんある…

メモ/痛みのゲートコントロール説、45分、頭のなかの風景画、ぶらぶらしてつぶやく

今朝の体重は63.5キロ。4月からは約10キロ、ちゃんと計りだした6月27日からでも、68.8キロから、5.3キロ減。食べていないのではなく、運動しています。 小説も朝書いていたし、日記も朝に書くことにします。 今日は自分のためのメモを書こう。 昨日の本から…

日記を書くこと、アロマのことなど

昨日の日記(フィクション)の感じでまた小説が書けると思ったけれど、とりあえず新人賞二つに応募したし、もう少し立ち止まって考えることにしました。次の締切まではまだ半年あるし。 しばらく普通の日記を書いてみようと思う。ただ今のわたしは、こういう…

グッドスウィングフィーリング

(以下の日記はフィクションです)「ゼアシーゴーズ・ギャラリー」の桐野布由子さん。 ギャラリーに伺うのは今日が二回目で、布由子さんと話すのも二回目。柔らかくて芯のある話し方で、Good Feeling。黒いメガネが鼻筋の通った顔によく似合っていた。 お店…

2015年5月6日

100ページくらい読んでそのままになっていた保坂和志『未明の闘争』(講談社)を頭から読み返している。243ページに天神崎が出てきてびっくりした。和歌山県田辺市の天神崎で、いま自分が書いている小説に書いた天神崎だ。保坂さんの書く天神崎の場面は面白…

2015年4月6日

私生活は知らない。 それがいつのことかわからないけど、人生をふりかえったとき、 「このときがいちばん最悪だった」 と思えたら、今は幸せなんだ、というふうに今みずからに言い聞かせるとき、わたしたちの私生活は、わたしたちのものになる。 他のだれか…

2015年3月17日

少しのことで気持ちの余裕がなくなる。 いつでもそうやって、家族と喧嘩になる。しかし職場や、友人たちと喧嘩になることはない。 自分でも巧妙に、そういうことを避けているのだと思う。 他の人に聞いたこともないからわからないが、よくあることというか、…

2015年3月13日

帰る時間が遅くなったり、自分の時間が少なくなるほど、自分の時間をなんとか使いたい。大枚はたいて買ったのに、読んでいなかったトマス・ピンチョン『LAヴァイス』に手をつけたくなって、ぱらぱらめくってみる。たぶん今は読めないだろうな、と思いつつも…

2015年3月12日

週末のために息をひそめてやり過ごすような毎日をいつから送っているのか、労働には懸命だが好きにはならない。そういうことをあえていうのも大人のふるまいではないということもわかるけれど、友人のバンドが「仕事がおもんない歌」とかいうのを作っている…

2015年3月7日

以前なら、 「何でみんな、人に相談なんかするんだろう。みんな結局、最後は自分で決めるくせに」 と思っていたものだったけど、相談する、というのでなくても、人と話をする、聞いてもらう、私が話したかったこととか、私が聞きたいと思っていたことでなく…

2015年2月1日

昔から友だちが少なくて、よく考えれば向こうから連絡をくれることは、ひいき目にみてもあまりない。ほとんどない、といった方が正確かもしれない。でもまったくいないわけじゃないし、今年で37歳のアラフォーになってみるとそれで困るというか、屈託するこ…

2015年1月29日

いい音楽を聴けば気持ちが晴れることがわかっているのに、朝はやっぱり聴けない。だからこうして夜、日記を書きながら栗コーダーカルテットの「足」を聴いている。 これをずっと聴きながら歩いたら気持ちがいいだろうな。イヤフォンを耳に突っ込んで、ウォー…

2015年1月28日

DVDで『WOOD JOB! 神去なあなあ日常』を観て、あんまり面白くて、日記書くの忘れてた。そういう一日。

2015年1月27日

本当のことだけを書いているのが日記ということはなくて、意図した嘘や、意図せざる嘘、というより間違いが多く含まれる。 無名な者の書くブログだからというわけでなく、おそらく一人こっそり書き付ける鍵のかかったノートであっても、読む者を意識して嘘を…