「自分から用のある人は、ひとりもいないから」(!)

 本を読んでも読んだはしから忘れていくから、「読む体験だけでいい」と思っていても何か残ったら、と思うから、「抜き書き」というのを断続的に、今は思い出したようにときどき、やっている。しばらく前に友人に借りた本は、気になったところに付箋をたくさんしていて、それを「抜き書き」できなくて、返すのがずいぶん遅れてしまった。今日やっとやったので、もうすぐ返します。
 じっさいに読んだのはけっこう前で、抜き書きしたところだけを読み返すのは、人の言葉なのに、自分の頭のなかを覗いているような気分になったり、また逆に、自分がここが気になった理由がもうわからなくて、読んだのかどうかもわからなくなってきたり、不思議なものです。

――柴崎さんは小説を書かれる際、登場人物に仮の名前をつける時は、上條作品からとられることがあるそうですが?
柴崎 みんなじゃないですけどね。困った時に暫定でつける名前は、みんなナツとユキ(笑)。かっこいい名前としての刷り込みがあるんです、きっと。(上條淳士との対談、11ページ)

――『海獣の子供』は、女の子が主人公ですよね。女の子の視点には特に興味があるというか、意識されたりするんですか?
五十嵐 や、特には意識してないですよねえ。基本的には自分の感じで描いているだけなんですけど、……なんとなく女の子の方が信用出来る、というか。大雑把にいうと男の方がバカだろうと思ってるんで、自分も含めて(笑)。だから主人公にちゃんとしたした人を据える場合は、なんとなく女の子になりがちかなあ、とは思いますね。描いていて楽しいとかそれくらいで、あんまり深くは考えてないんです。(五十嵐大介との対談、82ページ)

五十嵐 (笑)人がどう生きるか、っていのが基本なので。漫画描くために何かやるよりは、自分がまず楽しいことをやってみて、自然にそれを描きたくなった時にうまく描ければいいかな、という思いがあるんですけど。実際には締切とか色々あるので難しいんですけど、その中でなんとかうまく転がっていけば幸せかなあと。(同、85ページ)

 目に見えて現われている世界がこんなにも美しいのは、そこになにかの調和があるからで、調和していることは美しいのだと思う。音楽も調和した数字で表されるもので、そういえば『陰陽師』で重要な役割を果たしている源博雅は音楽の才能を与えられている。(「世界の秘密」岡野玲子との対談後、103ページ)

柴崎 (略)いわゆる「物語」をどうやって切るかと考えると、「時間」なんです。一日の話だったり、一週間の話だったり。書く時はだいたい実際の天気とか調べてカレンダーをつくるんです。(浅野いにおとの対談、111ページ)

 電車で人が読んでいる本なんかを横から覗くのが好きなのだけれど、最近、子供がめくっている漫画をちらちら見たり、夏休みや春休みになると増えるアニメ映画のCMを見ていて「世界を救うために戦う」「○○のためなら死んでもいい」というようなセリフが溢れているのが気になりだした。もしくは「汚い大人にはわからない」とか「夢のない時代なんだよ」とかいったふうな。(「現実の感覚」浅野いにおとの対談後、124ページ)

――外出はよくされますか?
くらもち 外はあまり出ないと思います。景色を見るためだけに出るとか、アイディアを探すことを目的にしての外出はしないです。そういう風にアイディアを探しにいくと逆に見つからないんです。(くらもちふさことの対談、139ページ)

柴崎 ちょっと考え方や作り方が違っていて、例えば小説だと前から順番に思った通り書いていけばいいんですけど、脚本だと長さや登場人物などの事情を事前に織り込み済みでクリアしておかなければいけない、とか順番が違うんですよね。(同、141ページ)

くらもち 「物語を考えること」を長くやってきて、自分にとって今はその何段階目になるか分からないんですけど、頭の中に物語が一つある場合、すでにある「それ」を、そうではない別のスタイルで展開することに興味があるんですよね。それがたまたま「スタイル」として今は面白いと思うので、結果、時間が前後したり毎回キャラクターが違ったりしているんです。自分のモードがあくまでも「偶然」「そこ」にフォーカスしている、ということで、オーソドックスに起承転結を考えられる時は、最後までキッチリ考えるようにしてますね。(同、142ページ)

柴崎 また格好いい男の子を描いてください。あの、くらもち先生の漫画を読んでいると私はすごい半笑いになっているので……。(同、149ページ)

柴崎 写真って出来上がってくると良くも悪くも平面になっちゃいますよね。そうすると、自分がファインダーをのぞいていた時見ていたもの以外のものも同じレベルの情報として写り込んでいるじゃないですか。だから、逆に余計なものが多くなっちゃって、かえって難しいんです。自分がその時見た印象、覚えているもの、選び取ったものを書いた方が、読む人にとってもちゃんと印象に残る。そうやって書くのが私にとっては一番いいし、伝わるんだなって。(上條淳士とふたたび、240ページ)
ワンダーワード―柴崎友香漫画家対談・エッセイ集
柴崎友香『ワンダーワード 漫画家対談エッセイ集』(小池書院)

 人は未来が見えなくなると過去にこだわるようになるんだ。過去ってのは膨大な知識と技術の集積があるわけだから、そこにクビを突っ込んだらいろんなモノが汲み取れるでしょ? それはありがたいことなんだけれども、そこには蘊蓄の塊があるからそれを身につけちゃえばわりと重厚な人になれるんだよ。年をとったら大体はそこに向かうんだけど、それはぼくには関係ない。それはね、未来があるからだよ。(「そば打ち」17ページ)

 一九四〇年代頃の音楽の良さは、レンジの狭さとかセピア色とかそういうことじゃなくて、空気をまるごと一本のマイクで録音したっていうことなんだよ。空気を切り取るということは、宇宙の断片を切り取ることだから。そこには、すべての情報がまるごと含まれているんだよ。宇宙全体の情報が。マルチレコーディングになって以来、空気を全部削ぎ落として「音」だけの情報にして、空気がなくなった分をエコーで処理して空間をつくっていくことの空虚さ。それを今、痛感してる。(「宇宙の断片」41ページ)

 仲間は仲間だよ。友だちっていうのは、毎日ご飯を一緒に食べたりとか、そういうレベルのもんじゃないんだよ。友だちっていうのは、離れていたっていい、会わなくったっていいんだよ。まったく知らなくてもいい。会ったことなくったって。仲間がたくさんいて愛されていても、人間はひとりで生まれてひとりで死んでいくって意味で孤独だから。
(中略)
――孤独の方がいいですかね。
 モノをつくるには必要だからね。作曲とか、自分のなかの世界をつくっていくときはひとりにならないとダメでしょ。あのレオナルド・ダ・ヴィンチも言っている。「孤独に堪えられない人間はモノはつくれない」って。(「孤独」45ページ)

危機意識の塊なの、ぼくは。自分はそういうところに関しては動物だと思ってるから、逃げられるだけ逃げたいし、危険なところには絶対に行かない。わざわざジェットコースターに乗ったりも絶対にしない。生きてるだけで十分危険なのに。
 でも、ホントは、クリッピングして何をやろうと思っていたかというと、いいニュースを集めようと思っていたの。でも、いいニュースってないから。「グッドニュース」ってフォルダがあるんだけど、ホントに少ない。(「流れ」83ページ)

だから生活にけじめないよ。全然ない。お風呂は毎日入るけどね。でも身体は洗わない。これ主義なんだよ。(「すぽーん」93ページ)

たとえば早朝のニュース番組に出ている女性アナウンサーのウグイスのような声に癒されてたり。(「ウグイス」98ページ)

 こないだある言語学者が、テレビですごく大事なことを言っていたので、つい聞き耳をたてて聞いちゃったんだけど、「本当のことは小さな声でひそひそ語られる」と言ってた。常々ぼくもそう思ってた。実は人びとにいっぱいに聴かせるような音楽は好きじゃないんだ。(「声が大きい」110ページ)

 もう、そういう時代じゃないんだよ。大きな声じゃなくてもいいんだ。小さな声でもいいから声に出さないと伝わらない。それはネイティブ・アメリカンに教わったことのひとつで、祈りってのは思ってるだけじゃだめだということ。(「口に出す」119ページ)

 アメリカ人の女の人が「愛してる?」って訊いてくるときには、その裏に何かをおねだりする気持ちがあるって言われているけれど、日本の女の人の場合はそうじゃないよね。「愛してる?」って訊いてくるときは、大概、本当にそう言って欲しいと思ってるよね。(「愛してる」121ページ)

 人に好かれて喜ぶっていうのが、ぼくにはよくわからないんだ。人に好かれて嬉しかったことってあんまりないんだよ。「自分が誰かを好き」っていうのは喜びだよ。でも、好かれて喜ぶっていうのは、よくわからない。自分が好きじゃなかったら、好かれることにはなんの意味もないからね。だから人気稼業には本当に向いていないと思う。歓声を浴びてもちっとも嬉しくないんだ。思われるよりも思った方がいい、ってことだよ。(「好く」123ページ)

――逆の言い方をすると、若い人は忘れることができないから、それが苦痛になるし、思い出の総量が少ない分だけ苦しいと。
 若いっていうことは確かに悩みが多いよね。ぼくもそうだった。のたうちまわってた。だからあの頃に戻れって言われたら、ぼくはイヤだね。(「忘却」143ページ)

他人が自分のことをどう思おうと興味ないの。本当は誰とも会いたくないしね。自分から用のある人は、ひとりもいないから。(「退屈しのぎ」174ページ)

女の人を怒らせたら、もうこれは絶対にかなわないから。向こうに理がある。反論してると自分がいかに間違ってるかがわかってきて、だんだん勢いが萎えてきちゃう。言葉が詰まっちゃったりして。だから先に謝っちゃうの。昔は奥さんともよく喧嘩してたんだよ。ぼくも怒りっぽかったからね。でも今は距離をおいているからいさかいがないし、波風も立たないから怒ったりはしない。大人になったと思うよ。
――孤独に強いんですね。
 意外と強いね。弱いと思ってたんだけど。人といるのはめんどくさいからね。(「お願いしない」177ページ)
細野晴臣分福茶釜
細野晴臣、鈴木惣一郎『分福茶釜』(平凡社

 もうフルヤ君ですらテレビを見ていなくて、それでもテレビから聞こえる大声や笑い声がこの部屋の空気を緩めていく手助けをしているように感じられた。その大きくもなく小さくもない音量の匙加減は何を喋っているのか意味が分からなくても、もわんとした、酒で盛り上がっている場特有の、少し湿り気を帯びているようだった。(22ページ)

 授業が終わるまではまだあと三十分もある。教科書を見るのにも飽きてしまい本当にやることがなくなってしまったこの時間は、なんと名付ければいいのか、あまりいいものではなく、例えば二年生になったばかりの四月に、どんな人なのかも全然わからない町田さんと登校途中にばったり会ってしまい、そのまま一緒に自転車で学校まで行ったあのなんともいえない無言の時間とはまた違った種類の気だるさで、日常の流れから外れ出てしまった一時に僕はそわそわするしかないのだった。(45ページ)

「もし、今フルヤ君の家に陽子ちゃんがいても、俺は今日は寄らなかったし、寄らなくてもよかったよ。今ね、すごい気持ちいいんだよ。だから、陽子ちゃんに電話がしたくなっちゃった。嬉しくなるとさ、陽子ちゃんに伝えたくなっちゃうんだよ。
 今ね、自転車に乗ってて一人で帰ってる途中なんだけどね、あの十字の交差点を右に曲がればフルヤ君の家にだって行けたしさ、そこに陽子ちゃんがいるかもしれないし、でもこうやって一人で自転車で走って一人で色々考えて、その中に陽子ちゃんとかフルヤ君とかもいて、結局陽子ちゃんに電話しちゃうっていうのも、そういうのもいいかなあと思ったんだよ」(69ページ)

フルヤ君が大学を卒業して、引っ越すようなことがあれば僕らが全く会わなくなってしまうことになるかもしれないし、たとえそうじゃなくても今の関係が全く変化しないというのはあり得ない。「お前らはその程度の関係だったんだよ」とか「もっと二人のことを大切に想うべきだ」なんていう言葉が脳裏を横切り、そんな言葉は実が威勢が良いだけで、中身のない薄っぺらなものだと知っているのに、大事にしたいのは全くその通りだから、言葉に支えられている友達なんてのは碌なもんじゃないし、くだらない常套句だと分かっているのについゆらいでしまったりする。(76ページ)

 綾とは何も喋らなくてももう気まずくならないくらいの間柄だから、綾だって気を遣って喋ろうとは思っていないだろうけれど、ただ、今僕が喋らないのはつまらないとかではなくて、綾が横に座っていてくれて僕が空を見上げながら寝そべっているこの時間をとてつもなく幸せに感じていることが綾にも伝わっていて欲しかった。身体を動かした後の気だるさと爽快感がそう思わせているのだとしても、それの何が悪い、別に騙されてもいいじゃないとやけくそになっていた。(95-96ページ)

 ようするに、いつも通りの会話に戻りたいだけなのだが、部屋に二人きりで相手が隠し事を打ち明けるように話すだけで発生するある種の緊張感は、それに騙されているような気がして飲み込まれまいとしてもがくのだけれど、その解決策は容易にはみつからないのだった。促されるように発してしまう言葉は、大体において自分が思っていることと全く違うことなのにもかかわらず、それは台詞のように求められていると錯覚してしまうのだが、そんなことを僕は言いたくはなかった。榊原先生は別に何も求めていないし、これはただの日常の出来事で、要求しているのはその場の雰囲気だ。ぼくはそんなものからは自由でいたかった。(133ページ)

 僕は「そうだよな」なんて返しながらも、本当はそれこそが問題で、時間が経って平気になることが良いことなんて誰にも言えるわけないじゃないかと思っていた。(150ページ)

集団があって目的が存在しているということは、そこには必ず強制めいたものが生まれるだろうが、目的が完璧を求めずに、享楽的な動機が、一番ではないにしてもその目的の中の重要な位置を占めるのだとしたら、そしてそれでなお破綻をきたさない集団なのだとしたら、その集団は傍からはただの馬鹿者共の集まりのようにしか見えないのだとしても、集団の純粋な楽しさがそこにはあるような気がしてならない。(165-166ページ)
オブラディ・オブラダ
佐藤弘『オブラディ・オブラダ』(光文社)