さすらいの秘密

 先ごろ出た文庫本で読みなおしていた青木淳悟「四十日と四十夜のメルヘン」(新潮文庫)を読み終わったので(併録の「クレーターのほとりで」はまだ)、部屋のなかの「近いうちに読みたい積ん読コーナー」に置いている本の中から大澤真幸「恋愛の不可能性について」(ちくま学芸文庫)を読んでみたら、

 「つまり、固有名は、可能世界の部分集合の集合――Wのベキ集合2W――を指定していることになる。ところで、周知のように、集合Wのベキ集合2Wは、Wよりも濃度が大きく、Wの部分と見なすことができない。このことは、固有名が記述に還元できないことに対応している。」

 というような箇所でつまづいて(ベキ集合ってなんだっけ?)、「ベキ集合」のことがわかりやすく参照できる野矢茂樹「無限論の教室」(講談社現代新書)をめくらなくてはいけない。もっと頭がよくなりたいな。そういうわけでまたこの本を読み通す自信はないのだけれど、ぼくの「恋愛の不可能性について」にはいろいろなものが挟まっていた。買ったときのレシート(ジュンク堂書店池袋本店。2005年12月13日(火)14:02。1155円)。ブックファーストのしおり。梅田・JR大阪駅にあるブックスタジオという書店のしおり。2007年3月31日に開かれた友人の結婚式のメッセージカード(名刺大)。京都タワーを背にして撮った妻の写真。

 写真はサービス版のプリントで、妻のペンタックスSPで撮ったものだろうと思う。10年近く前の学生時代のもの。紺の長袖のニット、緑と白の縞々の柄の、プリーツの入ったロングスカート(ペルホネン、になる前のミナの)、黒か濃紺のタイツ、赤色のモカシン、左腕にはぼくの愛用していたカシオのデジタルウォッチ(量販店で980円で買えるやつ)、右腕には真珠のブレスレット、首にも対のネックレス、手には大きな籐編みの手提げカバン。被写界深度は浅く背景の通行人も京都駅も京都タワーもぼやけていて、空と一緒に白く飛んでいる。

 本を買った時期よりもずいぶん古くて、なぜこんなものが挟まれているかわからないけど、挟まれていた他のものも時期はまちまちで、奥付のところに読みながら貼る用の付箋紙が何枚も貼り付けられていて付箋紙の種類も二種類あって、この本を何度か読もうとして読めていないことがわかる。

 でも手放さなかったらいつか読めるかもしれないし、こうやって後から妙なことを発見することもできる。本もCDも何度か売り払ったりして処分しているけれど、今日本を読みながら高校生の頃から聴いているスマッシング・パンプキンズを聴いていて、ふと思ったのだけれど、処分した本やCDはどちらかというと「どうでもいい」「手元に置いておかなくてもいい」と思った本だけれど、「手元に置いておきたい」本・CDというのはやはり名著、名盤が多いということになって、ぼくが持っていなくても書店やレコード屋に置いている(ものが多い)。書店やレコード屋を自分の本棚の延長と考えれば、処分してしまった方、どうでもいいと思った本やCDの方が、稀少なのかもしれない。あんまり思い出せないけど。そんなことを思うのは、

 「概念であることに相違ありません。ですから、部分集合と概念とは同じものだと理解してください。そこで、ある対象の集合に対してその概念集合を作ります。可能な概念を全部集めてきます。つまり、部分集合の集合、ベキ集合です。そうすると、いいですか、驚かないでください。――概念の集合の方が対象の集合よりも濃度が大きいのです」(「無限論の教室」より)

 「すなわち、「アリストテレス」という言葉は、あらゆる可能世界において同じ対象を指示することによって、これがアリストテレスであるほかないような領域の全体として、宇宙をも間接的に指示しているわけだ。」(「恋愛の不可能性について」より)

 なんてのを読んだからかな。やっぱり思い違いだな。続きを聴いて、続きを読みます。スマッシング・パンプキンズの「サイアミーズ・ドリーム」の四曲目、「ハマー」。

 とここまでを書いたのが昼間で、夕方、自転車で図書館に行ったら先に出ていた妻がいた。北方謙三「望郷の道」を借りてくれていたのでそれを受け取って、結局返却期限までに読めなかった山崎ナオコーラ「ここに消えない会話がある」、諏訪哲史ロンバルディア遠景」を返し(また近いうちに借りよう)、水木しげる「コミック昭和史」1・2巻と橋本治「巡礼」を借りて、持ってきた本とチャンポンしながら図書館で読むことにする。妻は先に図書館を出て、スーパーに寄って帰るという。図書館のチラシ配布コーナーに大阪の国立民族学博物館の広報誌「みんぱく」があったのでもらう。なんだか充実した内容。持ってきた本を中心にしばらく読んで、帰り道はスマパンの続きで同じアルバムから「ギークUSA」「マヨネーズ」。

 これを書いている今は夕食前で、台所に置いたラジカセで妻がマリマリ・リズムキラー・マシンガンのセカンド、「ヘッドライト、スーツケース」を聴いています。とても美しく、ものすごく切ないアルバム。こんなに暗く切なく美しいポップミュージックは他にあんまり知らない、と思う。ぼくはそのあいだ読書。水木昭和史、マクロとミクロのバランスの異様さがすごい。橋本治「巡礼」。橋本治の小説を読むのは初めて。新聞に載っていた広告で気になっていた。ワイドショーでよくある、ゴミ屋敷と周辺住民にまつわる話らしい。本の後ろのページにある出版広告で、死んだ友人の恩師と橋本治の共著で「モディリアーニの恋人」というのがあるのを知る(新潮社・とんぼの本)。これは読まなきゃ。「巡礼」は気になっていたけど買う予定はなかったので、この本を入れてくれたこの町の図書館に感謝。この本を借りなければ「モディリアーニの恋人」を知ることもなかった。