最近は何もしていない


 最近は何もしていない。週末いらい本を読んでいないから、小説を読むことと書くことをしていないと自分の感覚としては「何もしていない」ということになる。仕事から帰ってくると出かけない。家は職場の敷地内にあるから、こういうのこそ「社会的ひきこもり」というのじゃないだろうか。気持ちとしても、平日は息をひそめて、息をつめて「乗り切る」という状態で、嬉々として働いたことがない。労働に対するアフォーダンスがないのだとおもう。
 家ではテレビを見てネットを見てミクシイで日記を書いて風呂で新聞を読んで、生まれて始めて新聞の連載小説を毎日読んでいる。新聞の小説は毎日800字くらいだから、あんまり本を、小説を読んでいる感じはしない。だから「何もしていない」。
 巨人が優勝しても球場やテレビで見られないなら意味がない。ほんとうに意味がない。クライマックスシリーズも意味がない。あんなものをやるくらいなら、プロ野球はチームとリーグを増やすべきだとおもう。無理なら、4チーム×3リーグに分けたらいいとおもう。こういうことを場当たり的にいうときの自分は調子がよくないということは経験でわかる。つまり、「ふさぎこんでいる」。
 友だちにメールや電話ができない。遊びに誘おうとしてためらってしまう(でもこれは昔からそうだった)。因果応報というのはウソなので、因果関係というのは信じない。「でも」(「だから」?)明日からは小説を読むし、小説を書くとおもう。あなたからのことばが聴けるなら。あなたがそこにいるのだから。
 あと5分でNHKで「ブラタモリ」が始まる。今週はそれだけを待っていた。