夏休み帰省日記:後編(8/15〜8/16)

 15日。またしても8時前に起こされる。書き忘れていたが今回の帰省ではなぜかぼくは両親と同じ部屋で川の字になって寝かされていて、それはたぶん今回は兄夫婦も弟もいなくて帰ってきているのがぼくひとりだから部屋の掃除がその方が楽だからだろうけれど、だから両親が朝起きて隣の居間でバタバタされれば起きてしまうのだが、その状況に甘んじている理由は深すぎてか浅すぎてかぼくには書けない。というかよくわからない。妻に言うと気持ち悪がられた。「マザコンか、もしくはファザコンか」と。そういうことでもないと思うのだが。

 それで朝食後クライマックスに差しかかった「虚無への供物」を読んでいたら、10時半にまたぞろ「昼どがんすっか?」と父が言う。この時点で、この言葉にすでに、どこか外に食べに行きたい、という言外の意味が含まれている、ということは考えなくてもわかる。ぼくは別にどちらでもいいのだが、遠出するとなると父の運転に酔うのでそれだけがネックではある。一応食べたいものを聞かれるが、そもそも佐賀の店を知らないのでぼくにはイメージがない。だから適当に受け流していると、そのうちに母の行きたい店に決まっていた。まあそれでもいい、という気持ち。

 出発までになんとか読み終わりたくて、話がついたところで「虚無への供物」に戻る。出かける直前に読了。面白かった。中井英夫の他の著書や、乱歩や幻想文学なんかを読みたくなる。小説でもそういうのはぼくのあまり知らない分野なのだか、そういう分野の本はぼくにとってはある友人を思い出させる。その人は武井武雄の「刊本」作品を持っていて(祖父の形見とかで)、一度だけ見せてもらったことがある。そういうことも思い出させる。

 高速を使って片道一時間半。唐津湾を望むフレンチ・レストラン「セゾンドール」(唐津市呼子町)でランチ・コース。魚介がうまい。しかもこれで3000円とは。両親とも、それにしてもいい店知ってるな、と思う。このおっさんとおばさん、おっさんなんか家でいつも全裸なのに、アッパーミドルみたいじゃないか、と思う。田舎の方が飯はうまいな、とも思う(都会のうまい店を知っているわけではないが)。

 そのあと秀吉の朝鮮出兵文禄・慶長の役)の拠点となった名護屋城の記念館(佐賀県名護屋城博物館)へ。先ごろ亡くなった唐津焼の陶芸家、中里逢庵(13代中里太郎衛門)の特集展示。両親がやたらと褒めている。ぼくは焼き物のことはよくわからないが、たしかに美しい。愛用のスケッチブックや旅の日記を記した手帳も展示されていて、すごく細かく几帳面な日記に感動する。いつか見た、イラストレーターの真鍋博の日記を思い出した。常設展示は文禄・慶長の役を中心とした、日朝交流史。じっくり見ればかなりの見ごたえだと思うが、まあぱらぱらと見ていく。

 これだけの展示がタダで、ロビーに募金箱があり、100円入れると職員お手製のしおりがもらえる。募金せずに出てくると、父がしおりを持っている。「なんかお前、募金せんか。タダやけん職員が気ぃ使こうてがんばいよっとやろうが。いくら募金したっちゃバチは当たらんとばい」。しおりはありがたくもらっておいた。

 帰りは下道で、運転席の父は眠気を抑えるべく「うわっ」とか「にくにくにくにくっ」と意味不明の雄たけびをあげている。「なんかそい?」と訊いても答えないし、やめない。ものすごく不愉快なのだが。佐賀市内に戻り、スーパーで買い物。ぼくは雑誌コーナーで立ち読み。「文藝春秋」磯崎憲一郎芥川賞受賞インタビュー。受賞の報せを聞いた磯崎さんの勤める会社の会長が、磯崎さんの働くフロアに来た話がよかった。あと、芥川賞発表の日、磯崎さんは採用面接をしていた、というエピソードも(磯崎さんは人事部次長である)。同僚の女性が「緊張して仕事が手につきません」とかいうの。あと栗原はるみの雑誌「haru_mi」など。カレーがうまそう。こういうこと言うのもあれだけど、栗原はるみさん、きれいですね。父と同年齢だけど。 家に帰るともう17時だった。

 夜。18:30に実家近くの結婚式場へ。中学校の同期の同窓会。高卒と同時に地元を出て、とくに中学の連中とはほとんど接点がないので、ほぼ卒業いらい16年ぶりの再会ということになる。

 時間ギリギリだったのでみんな来ている。着くなり知った顔が近寄って来て足蹴りやパンチが飛んできた。「うわっ、珍しか」「チェックやんか」「お前今まで何しよったかぁ」。チェックというのは小6〜高1までのぼくのあだ名だ。ちょっと距離のある人間や一部の女の子だと「チェックさん」とも言われる。中学生のときはそれが当たり前だったけど、やっぱり変だろう、そのあだ名。でもすぐに違和感がなくなる。「これが同窓会というものか」。

 来ているのは60人〜100人くらいか(おおざっぱすぎるけど、人の数を数えるのは得意じゃない)。立食の広い会場のなかで、真ん中からぱっくりと、左右に「男子」「女子」と分かれてしまっているのがいかにも「中学生」だ。何人かのごく親しかった旧友が来ていて、旧交を温めるまでもなく、もう「あの頃」のノリになっている。ふたたび「これが同窓会というものか」と、31歳になって15歳のロールプレイをしているだけでなく、「そういうロールプレイをする同窓会」のロールプレイをしている気分。といっても、というか中学生男子だから、話している内容はごくくだらない。中学生男子の「セックスドラッグロックンロール」。

 M「ほら見てん、K、“自称プロサーファー”そっくりやろ?」
 A「ほら、××ちゃんのブルマー」(Aは中学当時の記念写真を配っている)
 K「AおまえDJてや? 悪かクスリばやりよっとやろ?」
 A「やりよっかて。お前やろうもん」
 チェック(以下チ)「何のDJばしよ?」
 A「テクノ。チェックは何ば聴きよっ?」
 チ「何でん聴くばってん、ルーツレゲエとかダブとか好きやな」
 A「うわー。煙たさー」
 M「チェックお前結婚したて? お前だけはせんやろうと思うとったばってんね」
 チ「どがん意味か?」
 A「××先生見た? きれいかね。おい××先生ならやるっばい」
 チ「女の子はだい(誰)がだいかわからんな。ウチの組は来とっかね?」
 Y「あれNとSとPばい」
 チ「Aは来とらん?」
 K「Mお前Aと付きあっとったろ?」
 A「ちょっほら喋りにいこうぜ」

 とかいって少し酒が入ってようやく女の子と喋りにいけるところが中学生男子であって、中学生男子というのがこの世でもっとも恥ずかしくかっこ悪い存在であるように、失礼な言い方だが、女の子もだいたい化粧をしていなかったあの頃よりかわいくなっている。30〜31歳という妙齢にあって、変に意識してしまうところもあり、しかし同窓会というのはずっとこういうものなのかもしれない。

 それでも少しは大人になっているもので、ぼくは中学校の違う高校の同級生のDと結婚した女の子・Oさんに話しかけてみた。彼女とは小・中・高と同じ学校だったのだが、当時はほとんどしゃべった記憶がない。
 「正月にDに会うたもんね。ウチで朝方まで飲んでさ」「Sくん(ぼくのこと)、遅うまで悪かったね。お世話になりました。Dくんに怒っといたさ」。そんなふうにあいさつして、一児の母であるというOさんとしばらく話して、「自分撮り」でツーショットを撮ったりした。中学校の集まりのなかで、「チェック」ではなく「Sくん」というのが新鮮に響く。「こんどは夫婦でお邪魔するけん」「来て来て」。

 「巨根」かつミリタリーおたくのMの阿呆すぎる下ネタ(「おいの沈黙の艦隊が」「××ミサイルやろ?」云々)も聞き流せるくらいになってきたところで一次会も終わり、二次会はカラオケスナック、三次会は同級生Iの働く焼き鳥屋。二次会ではAが嫌そうにしながらも周囲の期待に応えて下半身裸でスカパラの「めくれたオレンジ」を熱唱し、三次会では店員のIの期待に違わぬ滑りトークを堪能する。そのあいだずっとMは女の子に下ネタとセクハラ三昧で、ぼくはMに「サイテーやな」と言いながら、こういうふるまいもみんな「ロールプレイ」、いや、「使命感」なのかもしれないな、と思う。それぞれがそれぞれ、期待される役割を十二分に果たしている。しかしそれは「誰か」が期待しているのではなくて、こうやってこのメンバーが集まっていることそのものが応えられるべき期待を作り出し、それぞれが完璧に応えている。それはふつう「空気」とか呼ばれるものかもしれないが、今日に限っては「意思の力」と呼んでみたい気がするのだった。

 二次会の終わるころに携帯にメールが届いていたことに気づいて、遠くにいる大切な友人のMちゃんからだった。人の死に触れたそのごく短いメールを読みながら、さっきカラオケで小沢健二を歌いそびれたことを考えた。オザケンのその歌はぼくにとって友人の死に絡んでいて、いろいろなことを考えそうになるが、しかしぼくは飲めない酒を少し飲んでいてあまりまともなことは考えられないし、いつものメールとは違う感じがして今返事をしなきゃいけないと思って、彼女とのメールはいつも長くなってしまうから考えていたら明日になってしまう、だから二次会が終わって外に出たところで、すぐ電話をかけてみた。Mちゃんは電話に出なかったから、今日はそれでいいのだろうと思った。だからぼくはその後もエロい友人の方のMに罵声を浴びせたりしながら2時半のお開きまで過ごして帰ると、翌朝7:00の電車に備えて数時間だけ寝た。

16日。4時就寝、6時起床。すごく眠い。学生時代の引きこもりの時期に寝すぎの腰痛で起きあがれなくなったことがあるくらいで睡眠時間の短いのには弱いから(例が悪かったか。でもそれくらい寝るのが好きということです)、帰りは特急、新幹線とはいえ、7時間の列車の旅を思うと憂鬱になる。しかし追い打ちをかけるように、「カレー食わんか」と父が言う。昨日の晩はカレーライスだったらしい。仕方なく朝食にカレーを食べる。

 7時過ぎの佐賀発の特急に乗る。まずは博多行き。8時前に博多で新幹線に乗り換え、新大阪へ。ひかりレールスターであって、新大阪止まりだから寝過ごす心配はない。しかしなんだか寝つけないし、それでも眠いから本を読む気はしなくてiPodを聴いていると、昨日のことが反芻される。すぐにメールのことを思い出して、昨日少し書きかけた返事の続きを書いて送る。ふつうのメールなら、書きたいことを書いてそれに返事が来て終わりなのだけれど、彼女に書く場合は、相手がどんな返事を書くかなんて想像しないところまでは同じだが、自分が考えられる限りのことを書いて送るならば、そのあとの何往復か、そういうやりとりが続くことを想像できる。

 つまりそれだけの時間、相手の時間を奪うということでもあり、であればこそ、あえて送るのなら、そのやりとりがお互いにとって意味のあるものであればいいと思う。だから「書こうと思ったけれど書かない」ということもありうる。しかしもっと気軽なやりとりを期待してもいる。でもそれは日常のやりとりそのものでもあり、小説に「時空間が立ち上がっている」と感じることがあるとすれば、言葉のやりとりや描写のはしばしに、そういうことまで描かれているからだということを、小説を読まずにその人へのメールのことを考えながら考えているこの時間に、昨日の一日そのもの、16年ぶりの同窓会はもちろんのこと、その夜にメールが届いたことも、二次会を終えた路上で電話をかけたことも、目の前でちんぽこを晒して歌うバカな友人をちょっとだけうらやましく、ちょっとだけ誇らしく、そして大いにバカにして見ていた気持ちも、両親の行動にほとんど流されるように過ごしたことも、車内での父の眠気覚ましの意味不明の雄叫びも、別の友人にこの休みの前からずっとメールを書こうと考えていることも、遠く和歌山に待っている妻のことも、そういうことを全部響かせて手がかりにして考えられる。しかし実際に読んでいるときに、そこまで考えて読んでいられているだろうか。小説を書きたいとか、書いてどうしたいとか本当は関係なくて、とにかくもっとずっと「グッド・リーダー」になりたいと思う。ぼくにとって「よりよく生きる」ということのメルクマールがあるとしたら、ひとまずはそういうことだろう。

 本当はそこまで考えていたかわからないけど、新幹線ではずっと寝て過ごした。大阪から和歌山に帰る特急「くろしお」に乗って、帰ってきた返事の返事に、電気GROOVEの「マーチ」の歌詞をiPodで聴き書きして送る。「なんだっていいじゃん。どんな人だって、百年後は死んじゃうよ。最後も変わらずやるせない気持ち。バカ面でごまかして、お別れしよう。ちょっと切ないね」。特急のなかで11時頃弁当を食べて、1時頃和歌山は御坊の駅に帰り着いた。妻とともに家に帰り、途中で買ったカップ麺をまた食べる。夜もちゃんと食べたので、この休みでこの日がいちばん食べ過ぎた。電車に乗ってただけで、いちばん動いていないのかもしれないのだが。

 5日分の日記を書き終えたら、庄野潤三「山田さんの鈴虫」(シリーズ中それだけ手許にある)を読みたくなりました。あとブローティガンの「不運な女」と。
(「夏休み帰省日記」おわり)