夏休み帰省日記:前編(8/12〜8/14)

 12日。往路は青春18きっぷ。8時ごろきのくに線××駅発。今回は妻は和歌山に残して、九州は佐賀の実家まで、ひとり旅。かばんのなかの文庫本は結局、中井英夫の「虚無への供物」(上下巻、講談社文庫)と、茂木健一郎「脳のなかの文学」(文春文庫)、エドガー・アラン・ポー「黒猫・アッシャー家の崩壊」(新潮文庫)。

 昼食に大阪駅構内でカレーを食べて(「パワーランチ」だってさ!)、神戸線で芦屋まで。芦屋市立美術博物館へ。あの「具体美術協会」でも活躍した、田中敦子さんの展示があるのだ。田中敦子は妻が大好きで、申し訳ないな、と思いつつ。タクシーで乗り付けたら、まさかの休館。会期、22日からだったよ! しょっぱなから阿呆すぎる。

 となりに谷崎潤一郎記念館があり、そちらに入ってみることに。谷崎は畑中純のマンガで「鍵」を読んだことがあるくらい。それも10年前。写真や書籍、遺品の展示。二番めの奥さんの丁未子さんがかわいくて、萌え。なので「猫と庄造と二人のおんな」の文庫本を買う。

 芦屋を出てさらに西へ。19時30分ごろ予定どおり広島着。それまでに「猫と庄造と二人のおんな」読む。「谷崎さん、ずるいなー」と思う。丁未子さん、あんなにめんこいのになあ。携帯で予約したホテルにチェックインを済ませ、急いでマツダスタジアムへ。巨人-広島戦! スタジアムへの道には赤ジャージの老若男女がたくさん。20時頃スタジアム着。やった、見れる! 巨人、7-4で勝ってるし。そう思ってゲートをくぐるが、チケットは売り切れとのこと。そりゃそうだよな。盆休みだし、巨人戦だし、20時だし、もう6回だし。

 疲れていたけど、どうしても夜のうちに見ておきたくて、旧広島市民球場原爆ドーム側から平和記念公園へ。たぶん9年ぶり。友人が平和記念式典会場を定点撮影する映画を撮るというので手伝いに行って以来。そいつはもういない。そのときも前日の晩、見てまわったのだ。ライトアップされた原爆ドームも、式典会場もあのときと変わらない、と思う。原爆犠牲者に手を合わせながら、友人に手を合わせている気分になる。あのときも18きっぷだったよな。

 雨も降りだして、適当な店も見つけられず、アーケードの本屋で古谷利裕さんの磯崎憲一郎論の載った「新潮」を買い、ファミレスでそれを読みながら食べたあと、路面電車でホテルへ帰る。谷崎の前から読みかけていた「虚無への供物」上巻を読み終えて、寝る。ふだんほとんどミステリは読まないけど、これは面白い(もっとも作者によると、「アンチ・ミステリ」らしいけど)。年譜によると、深津絵里が奈々役をやったドラマがあるらしくて(平成9年)、見てみたいな、と思う。この本がずっと通勤カバンに入ってたというあの子は、見たのかなあ。

 13日。朝からもう一度、平和記念公園へ。朝食はコーヒー・チェーンで。向かいのブックオフでちょっと思いつきがあって、片岡義男「彼女から学んだこと」(角川文庫)を買う。好きな作家、尊敬する作家は他にもいるけど、真似したい、エッセンスを吸収したい作家はぼくには片岡義男

 昨日と同じようなコースをたどったあと、9年前に見た資料館には入らず、インスタレーションみたいな追悼スペースのある、原爆死没者追悼平和祈念館へ。追悼空間は、おごそかではあるが抽象的すぎて、感情の持っていきかたがよくわからなかった。

 美術館にでも行こうかと思っていたが、あまり時間もなく、またしてもの雨で駅ビルで昼食(麦とろ定食)、1時出発。結局広島焼きとか、広島風つけ麺とか、土地のものを食べられなかった。でも、広島カープのロゴのキャラクターに、女の子がいることをはじめて知った。くるくるした赤毛がかわいい。「赤ヘル」にちなんで「へる子」と呼ぶことにする。

 広島から4時間、下関まで鈍行列車で一本。おかげで片岡義男、ほとんど一冊読み終わる。冷房の効きすぎでお腹こわし、列車のなかのトイレに再三駆け込む。17時下関から20時に佐賀に着くまで、2回乗り換え。小倉から鳥栖までの電車のなか、それほど混んでいないが、座ると腹痛がくるのでドア際で立っていたら、2歳くらいの男の子を連れた女性がドアを隔てて立っている。親子ともに容姿も雰囲気も理想的によくて、片岡義男を読むときの歓びに似ている。少年とひたすら目が合うから、こちらからは逸らさない。それでも何度も目が合って、楽しい。二人が降りてしまうと、気が抜けたようで、また少しお腹が気になるが、なんとか家までもった。

 佐賀の両親の住む家に着くと、いつものように大皿でたくさん料理がならぶ夕食。気を許し過ぎると必ず食べ過ぎるので、セーブしながら。地方紙二紙、全国紙四紙がある新聞をぱらぱら眺めて、風呂に入り、寝る。

 寝床で「虚無への供物」下巻を読み始めて、やはり寝不足になりそう。アンチ・ミステリとはいえミステリだから、今読んでる先が気になり続ける。でもだからといって、犯人やトリックを謎解きしようとはまったくせず、ふつうの「小説」を読むごとく、今その瞬間を読み続ける。

 14日。朝8時になかば強制的に起床。ここでも気を抜くと食べさせられ過ぎるのでほどほどに。とりあえず居間で文庫を開く(行くべきところへはそのうちに声がかかるはず)。

 11時ごろ。「昼飯どがんすっか?」ほらきた。「おじいちゃんとことおばあちゃんとこもいかんばろ?」「そりゃせっかく土産持ってきとっとけん」「なんか食べたかもんあっか?」「なんのあっ?」「なんでんあっくさ。そばや?」どうやら父はそばが食べたいらしい。それでいいや。「じゃあそば」。

 まず祖父の住む隣町へ。祖父はたしか今年92歳。ビルマ戦線帰り・元警察署長の祖父はその静かな物腰に威厳があって、小さいころはなつくということはできなくてぼくは敬語でしか喋れなかったけど、足腰も弱りすっかり小さく細くなった祖父は優しい顔をしている。近況を報告。笑顔で聞いてくれる。地元新聞社の文学賞をとったこともある小説書きの叔父とそういう話もしたかったけれど、なんとなくできなかった。磯崎憲一郎、読んだかなぁ? この正月は初めて叔父と小説の話をして、「保坂和志はくー文章のうまか。今の作家でいちばんうまかかもね」という叔父の言葉が印象に残っている。

 昼食は山あいの精進料理店「むくの木」(佐賀市三瀬村)のそば。メニューは野菜のてんぷら〜ざるそば〜菓子・薄茶というセットのみ。というか、他にもあるのかもしれないが、両親のなかでこの店ではそれを食べることになっているので、とくに異論がなければ意見しない。てんぷらはオクラ、シソ、カボチャの花など、どれもうまい。そばもうまい。しかし父の運転は荒い(うまいのかもしれないが)。今日は酔わなかったけれど。

 それから祖母のいるホームへ。祖父に比べれば足腰はしっかりしているけれど、認知症の祖母。喋ることはできないが、こちらが話しかけると満面の笑顔を見せてくれるので、それだけでいいやと思う。もっと会いに行けない(行かない)自分の酷薄さよ。祖母もすっかり小さく、細くなっている。娘である母が手を取り、ホームのなかを少しだけ散歩。途中のベンチに座り、お土産の梅ゼリーを母が食べさせるけど、飲み込めない。そしてすごくすっぱそうな顔。昔嫌いなトマトを食べていたときの顔だった。「おばあちゃんごめん」と思う。今度はすっぱくないものにしなきゃ。

 帰りに郊外によくある巨大ショッピングモールのなかのABCマートニトリの隣だった)で、白のジャック・パーセルを買う。妻の事前承諾なしだったので、あとで嘆かれた。

 夕方帰ってきて、「虚無への供物」の続きを読んでいたらいつのまにか寝ていた。夜は焼肉を食べに行く。「夕飯はどがんすっか? 家で食ぶっか、外に食いに行くか?」と父がいうので、家だと必ず食べさせられ過ぎるので、「外食にしよう」と言ったのだ。焼肉は誰でも食べ過ぎると思うけど、それでもまだそっちの方がいいだろう。たぶんいい肉食えるし。で、どうやら佐賀牛の名店らしい、「名月館」(佐賀市大財)。父は何かというと「“佐賀牛”と“佐賀産牛肉”は違うとぞ」と力説する。確かにうまい。

 夜はテレビを見たり、「虚無への供物」の続き。お盆なので戦争の番組が多い。父の話で、祖父はビルマで暗号解読をやっていたことを知る。「数学の成績のよかったけん、そういうところに回されたとさ」。「暗号兵って、小島信夫と一緒じゃん」となんか嬉しくなる。あとよくわからないが、過酷なビルマの戦場の話。そういえば昼間行った祖父の部屋には、「ビルマ戦線」と書いた地図が貼ってあった。比較的新しいみたいで、最近になって眺めたりしているのだろうか。母方の祖父はインドネシアに行っていたことも初めて知った。寝床でも「虚無への供物」。面白くてあまり寝られず、また寝不足。

 15日へ続く。