「何の何」

 日曜の朝には金魚は一匹になっていて、また庭に埋めた。夜には自転車に乗って花火を見に行った。
 高い建物のない町で、自宅の二階からでも見ることができるけれど、自転車で漁港まで行くと、ほとんど目の前で見ることができる。隅田川とか淀川とかPLとか長岡とか、よく知らないけれど大きな花火大会に比べれば、ずいぶん「しょぼい」花火らしいけれど、そんなことはかまわない。
 実家に帰ってきていらい、花火を見に行くことがずいぶん多くなってきた。好きにもなってきた。
 高校で実家を出てから、二九歳で結婚するまで、花火を見に行ったことはあまりなかったような気がする。二歳半になる朔は草花が好きで、日曜の朝はNHKの園芸番組を観て、ホームセンターでバラやハーブ、野菜の苗を愛で、彼の祖父が庭で育てるヘチマやトマト、ナスやゴーヤの育つ様子を毎日気にしている。出かけても人の家の、自分の知っている草木を見つけては
「ゴーヤあった!」
 などと歓声を放つ。
 息子は花火の音は嫌いだが、花火は大好きだ。秋祭りの獅子舞は嫌いだが、祭囃子は大好きだ。わたしは花火の人混みは嫌いだが、花火そのものの美しさは大好きだ。端的な息子の好き嫌いの判断と、発言に大きくわたしは影響を受けて、そのことに気づいた。花火といえば大きさもいい。息子の嫌いな大きな破裂音も大好きだ。胸がすく。
「はなび・はなび・は・な・びっ。」
 興が乗ると同じ節回しにその時々のことばを載せて歌う朔の声が前の荷台からずっと聴こえている。「猫の額ほどの」などというが本当に狭い我が家の庭で、10匹近い金魚を埋めていて、今朝埋めるときにわたしは前の金魚が出てこないか心配していたが、息子は毎回同じように丁寧に手を合わせて、90度以上頭を下げて死者を弔う。格好を真似しているだけかもしれないが、埋めた金魚が二度と甕に戻らないことは知っている。
 それを悲しんでいるのかはわからないが、「また死んでしもうたなぁ。なんで死んじゃってちゃってしまうんやろうなぁ。」と、大人の表情でいえば「困惑している」ふうの表情を浮かべながら言って、次に
「しんだ・しんだ・し・ん・だっ。」
 とただ今の「は・な・び」と同じ調子で言っていたから、これを「興が乗る」という状態と呼んでいいのかもわからないが、二歳児だからといってわたしたちと違う生き物のように見てもしょうがなくて、わたしだって息子と同じようにオジギソウを見ればつついて葉をお辞儀させたくなる。葉の閉じる様子を「眠っちゃってしまっちゃったなぁ。」と表現する息子のボキャブラリーはわたしにはないが、息子の発言はわたしたちの言葉から学んだものだ。
 自転車で十分ほどで漁港に着く。夜八時の開始二〇分も前に着けば特等席が取れる。大きな花火大会ではこうはいかない。都市住民に対して「ざまあみろ。」と言いたくなる気分になるが、決して特定の誰かを思い浮かべてはならない。だからといって抽象的に「都市住民」を想像してそう思うことがいいことなのかどうか。
 着いたら雨が降ってきたので、自転車の後ろのカゴに入れっぱなしだった折りたたみ傘を差して見ることにした。わたしの乗っているのは前方に子どもを載せるシートのある、「子ども乗せ」自転車で、自動車のチャイルドシートのようにクッション性のある、大きなシートだけれど、ハンドルの真上に重心が来ているとかで、十キロ以上ある幼児を乗せてもあまりふらつかずに自転車漕ぐことができる。後ろの荷台には荷物用の大きなカゴが取りつけてあって、カバンはそこに入れて行ける。
 わたしの子どもの頃はこんな代物はなかったはずで、21世紀に生きるわたしたちはテクノロジーの進歩を手放しで喜べない心情がデフォルトになっていても、わたしは心底この時代に生きる人間でよかったと思う。