ナイト・ランにうってつけの日

 ひさしぶりのジョギングで、行きは愛すべきBig Nose、ターニーがくれたCDのなかからBlast Headの「Land Scape」を聴きながら。キラキラしたウワモノと抑制の利いたビート、こういうのは19歳でフィッシュマンズに出会って以降生理的に一番好きと言ってもいい音かもしれなくて、ちんたら走るヘタレなジョギングともすごく合って、体調がいまいちだったにも関わらず2キロの往路を余裕でこなした。
 折り返し点のTSUTAYA WAYにはお目当てのDVDは見つからなくて5分くらいで出て、少し歩いたあと500メートルくらい走ったのだが、まだまだ往復を走ることはできなくて、足が止まったあたりで空を見上げたが、すぐに目に入ってくるはずのオリオン座が全然見当たらない。しばらく空を見上げたり足もとの側溝に気をつけながら考えごとをしながら歩く。
 ここ何日か、妻の入院をネタにmixiに日記をつけたりしていて、妻に対する感情の特別さは、過ごした時間の長さと、それによってぼくが知り得たところの妻の人となりについての「厚み」そのものだ、と思う。
 妻といっても結婚したのは1年前で、それまでの付き合いが9年あったから、“新婚”という感じよりも“長い付き合いだ”と思う感じが強いが今言いたいのはそういうことではなくて、mixiの日記に書いたように妻の生態にはわかりやすい「面白さ」があるけれど(mixiには書いていないところでいえば、「来世は虫になりたい」なんて言うところとか、セミの抜け殻のモノマネが得意?なこととか)、それだけでは妻という人の面白さを十全に語ったことにはならない。即物的な面白さの背景に広がる茫漠とした広がり、とでもいうのか、他人にはどうでもいい凡庸だったり当たり前だったりする立ち居振る舞いやしぐさ、記憶や思考、志向や嗜好、そんなものがその「面白さ」の背景にはあって、それに気づいているのはぼくだけかもしれない、と思うからこそ、そういう「面白さ」を含めて彼女が好きなのだ。
 恋愛においては「一目惚れ」なんて言うように、そのスタート地点か、「アツアツ」とか「ラブラブ」とかいう序盤ばかりがもてはやされるが、始まりのきっかけなんてささいなものなので、そこから続く時間の方が断然重要なのだ。ということは時間が積み重なれば重なるほど、それに比例してぼくは妻を好きになるということになって、この数学は我ながら素晴らしい発明だな、と思う。
 今日走り出す少し前から頭にあったこんなことが、走りながらピースが揃うように頭のなかでまとまっていく。 
 自宅まで500メートルくらいのところでBlast Headが終わったので、メトロロの「Music Man」を聴く。前回のジョギングからぼくはこの曲が大好きで、この曲の感情の喚起のしかたにも数学的というか、幾何学的なところがあると思った。
 そう思うのは歌詞の、
 <電気信号 皆に届け>
 というところが「宮沢賢治の『春と修羅』みたいだな。」なんて感じたところにも引っ張られているけれど、この曲を聴いているときの気持ちの高ぶりや落ち着きは、あれは何ていうのか、簡単な数字合わせのパズルで、正方形のなかが12分割されていて分割された一つ一つに1から11まで数字がランダムに並んでいて一つ分だけスペースが空いていて、それを順番に並べ直す、というあのパズル、ああいうパズルが順々にあるべき場所に揃っていく、なんか村上春樹みたいな(?)比喩になってしまったけれどそんな気持ちの喚起のされ方で、単純に情緒を感じさせる歌よりもずっと心地よかった。
 自宅の前の直線に続くカーブを曲がって来たところで目の前に、それまでどんなに空を見てもみつからなかったオリオン座がいきなり目に入って来て、「なんか今日は完璧すぎるな。」なんて思う。 
 そんな気持ちの続きで帰り着いてシャワーを浴びているときに壁に貼って読んだ新聞の記事がよくて(最近読売から朝日に変えた)、それを抜き書きして面白がってくれそうな人にメールしようと思った。