僕らわしづかみ。

 昨日(4/29)のこと。4/30、5/1は通常勤務のため、GWとはいえ普通の休日。午前遅くに起きて、昼から妻と外出。近所のTSUTAYAでレンタル落ちCDを物色、5枚をチェックするが、それを購入する前に、雑誌コーナーで今日の目的であった『考える人』(特集「ピアノの時間」)を手に取り、CDコーナーに戻る途中に文庫棚で、長嶋有『夕子ちゃんの近道』を見つけてしまう。すわ、ついに文庫化! 
 長嶋有はぼくが今いちばん「好き」な日本の現代作家で、『夕子ちゃんの近道』は文芸誌連載中に細切れに読んで、その後読めていなかった本。長嶋作品はここ2年ほどしばらく読めていなかったのだが、昨年また読み始めて、最近作の『ぼくは落ち着きがない』『ねたあとに』が強烈に面白くて、『夕子ちゃん』もずっと気になっていたのだった。控え目な大きさのロゴの表紙も素晴らしくて(でも「記念すべき第一回大江健三郎賞受賞作待望の文庫化!!」という帯がばかでかい)、思わずレジに持って行く。『考える人』が雑誌ながら1400円と思っていたより高くて、文庫が550円、CDが5枚500円といちばん安いが今日はCDを諦める。レニー・クラヴィッツ、『普通じゃない』のサントラ、ポール・ヴァン・ダイク、マーレーズ、そしてシアターブルック。明日行くので、誰も買っていませんように。「どうせ後日買おうと思うのなら、その日に買えよ」と言われそうだが、金額のこと以上に、一度にたくさんの買い物をするとわなわなしてしまうので。
 昼食を有田川町の「cafe dinning blue」で。難波にあったクラブの名前みたいだ。で、その名に違わず、レジ横にターンテーブルCDJがあって、店の間取りもライブ向きというかクラブ向きというか。あのバンドがここでやったらハマりそうだな、と思う。いかがでしょうか? けっこうな田舎なのにランチタイムは老若男女でごった返し、だいぶ待って昼食。洒落たカフェだけどヴォリュームもあってうまい。やっぱり肉だな。ぼくはベジタリアンにはたぶんならないと思う。食後には、持ってきた文庫本、保坂和志『アウトブリード』を読む。最近人に薦めた手前、読み返してみる。隣の妻は、よしもとばなななんくるない』を読んでいた。

美術館でクレーの絵の実物を見たときに、あなたが「動く!」と感じたものがカタログでは決してそうならないのも、実物と印刷物とで得られる情報の量に膨大な違いがあって、クレーがキャンバスに敷いた綿密な下地や筆のタッチによる凹凸まで印刷では再現できていないからだけれど、あなたがよく口にしていた『愛』があるかないかは、世界から感受しうる情報の量や密度や強度において、クレーの実物の絵と印刷物ほどの違いが生まれるものなんだよ。

 ところで、人間は人間であるかぎり言葉の外に出られないというのは本当ではない。(中略)
 人間は言葉を持ったことで他の動物たちと完全に切れてしまったわけではなくて、言葉もまた、人間の中の動物としての部分を下地にして、その上に意味を重ねていった。

 一見(一読?)すると硬質なようだがすごく腑に落ちる感じで言葉の一つひとつが入ってくる。それでいて何度読んでも刺激がある。たぶんこういう方向の言葉はふだんの生活(職場、テレビ、新聞……)ではあまり語られないからだと思う。でも妻との会話ではあるような気がする。こんなにちゃんとした言葉遣いはできないけれど。
 昼食後は住んでいる街に戻り、海辺へ。浜のキャンプ場にあるコンクリの階段に寝そべって読書、うたたね。これも人に薦めた作家で田中小実昌の、自分でも読んでいなかった文庫本『自動巻時計の一日』を読んではうたたね、読んではうたたね。午後の陽気、海からの少し肌寒い空気がいい。文章もうっとうしいところがまったくなく、外で読むのにいい本かも。

 十年にいっぺんみたいなことを、なんでもない一日のうちに書くのは、スジちがいだろうけど、カンケイがない、とはいいきれない。それだけに、よけいやりきれない関係みたいな気もする。
 便所を出ても、おれは手をあらわない。しかし、一日のうちには、なんどか、手をあらう。てのひらが汗ばんでくるからだ。アメリカのミステリーなどをよむと、てのひらが、じとじとしているといえば、すごく緊張してるか、こわがってるか、それとも、まだちっちゃな女の子に暴行したりする変態性のじじいのてのひらあたりを想像するクセがあるようだ。

しかし、ハイヒールの上にのせただけで、こんなにちがうものだろうか? そのときは、からだにからみついたようなニット・ドレスをきていたので、よけい、からだの凹凸やカーブが目についたのかもしれない。胸のふくらみも、肩のあたりから、広い裾野をもって盛りあがっている。こんなのは、ほんもののオッパイだ。

 妻が疲れたといって車で先に帰り、ぼくはもう少し読み、うたたねする。一時間ほどごろごろしていたらぼんやりしてしまい、脱力感のまま歩いて帰る。
 夜は家で食べて、『考える人』を少し読む。作家の公式サイトでも読んだセシル・テイラー「インデント」というLPについての保坂和志のエッセイをもう一度、作曲家・ピアニスト、高橋悠冶のインタビュー。現代音楽の作家の固有名詞は、なんでこんなにヤヤコシイのだろう。モンポウクセナキスメシアンブーレーズ、ノーノ、シュトックハウゼンバルトークヒンデミット、ヴァレーズ……なんか呪文みたいだな。みょうにカッコイイけど。ピアノのことはよく知らないけど(というか、楽器のことはどれもわからないけど)、他の記事も読み応えがありそう。1400円は安いかも。読むところがたくさんあるので、雑誌とはいえしおりを挟むことにする。昔、弟のPDAで絵を描いて、それを使って自分で作ったしおりが最近押入れから出てきたので、それを挟む。
 ここ数年で(今更ですが……)とても好きになった脚本家・山田太一が挙げる「私の好きなピアノ・アルバムベスト3」に、最近職場の先輩に貸していただいたキース・ジャレット「ザ・ケルン・コンサート」があって、「あッ」と思う。歴史的名盤なのでしょうが、山田太一が、というのが個人的にはタイムリーで、こういうところから、聴きどころを広げていくのもいいかな、と思う。山田太一の他の2枚、聴いてみようかな。
 海辺でのうたたねのせいか、頭を使いすぎたせいか、夜は疲れてとろんと眠ってしまった。