こだま和文を読む

 ここには、ひとつ前の日記に書いたようなことを書いていこうと、それを書いた9月6日には思ったのですが、次の日にはもうその気持ちは薄れていて、結局今まで通りです。9月5日に書いたようなことは、また書くかもしれませんが。
 こだま和文『いつの日かダブトランペッターと呼ばれるようになった』(東京キララ社、2014年)を読んでいます。こういう本が出ていることにも驚いたし、図書館に置いてることにも驚いた。誰かがリクエストしたんでしょうね。図書館というところは、リクエストするとけっこう入れてくれるんですよ。これはけっこう重要なことで、わたしにとっては投票の他には、自分がやっているほとんど唯一の政治運動だと思っています(大げさですが)。
 というわけで買わずに図書館で借りておいてなんですが、とても面白いです。まだ四分の一くらいしか読んでいないのですが、いくつか印象に残ったところを抜き書きしました。1955年生まれのこだま和文さんの、1972年から1982年、上京からミュート・ビート結成までを語ったインタビューの聞き書きをまとめた本のようです。

 美術? ああ好きだったよ。でも、美術の中でも嫌いなもの、好きなものってのがはっきり分かれてしまうんだよ。「好きな絵を描いていいですよ」であればいいんだけど、デザインで定規を使ったりコンパスを使ったり、ちょっとでも理数系のものが入ってくるともう嫌なんだ。だから、何事においても?レンジがものすごく狭い?んだよ。なぜこんなことを一生懸命喋らなきゃならないんだ(笑)。(19ページ)

 話が重複するけど、中学2年……いや、もっと前かな? ?嫌な少年?って自分で呼んでいるんだけど、小学校6年の時に父が亡くなった後、なんか変な自分になるんだよ。何事にも反抗的で、周りを敵視したり、友達が欲しいと望んでいるのに人を避けたりさ。嫌われる変な奴ってどの時代にもいるんだろうけど。ちょっと嫌な奴だった。
 今はいいよな、オタクならオタクって括りの中で楽しめる場を作るじゃない。秋葉原とか。今や、あれも少数派じゃないものな。ところが僕が少年から青年になる段階では、オタクってパッケージもなく、何を考えているのか分からない変な奴としか見られない。(24-25ページ)

 姉は洋楽が好きだったか? 好きだったよ。僕が洋楽を聴くきっかけは、やはり姉になるのかな。とにかく僕は子供の時からずっと姉が好きで、本当は全部自分で食べたいショートケーキを、姉に好かれたいばっかりに半分残してあげるような弟だった。でも、それは間違いだったよ(笑)。
結局、その男子特有の青臭さは、女子との関係において弊害以外の何物でもないんだよ。姉なんか放っとけばよかったんだ。でも、ふたり姉弟の姉ってのは、弟からすると特別な存在なんだろうね。(28-29ページ)

 練習して、バイトして。そんでシゲちゃんに誘われた時だけ、なかば嫌々ライブに行くんだ。大嫌いだったの、夜の地下の暗い世界が。ディスコも嫌い。つまり、嫌いなのにそういう世界でやっていけてる自分がいるわけだよ。それに反発する自分もいる。後者の自分が絵の世界に憧れていったんだと思う。(33ページ)

 ミュージシャン同士の決まった会話。「どう? 元気⁉︎」とか「ビートルズのあの曲サイコ〜‼︎」みたいな、そういう能天気なハッピー感ってついていけないんだよ。自分の気持ちが沈んでる時なんかは、正直な心情でいたいんだよな。もちろん、音楽は好きだし、一緒に音楽をやる人達はすごく大切なんだけど、上手くコミュニケーションが取れない。(35ページ)