最相葉月『セラピスト』から引用する

 結局今日は夜になりました。一ヶ月ほど前に読んだ、最相葉月さんの、精神医療、カウンセリングに携わる人々に取材したノンフィクション『セラピスト』にたくさん付箋をつけていたのを、読み返してみて、抜き書きしたくなったので、してみます。たくさんあるので、今日だけでできないかも。
 最相葉月さんの本は、ふだん取材もののノンフィクションを読まないのもあって、よく考えるとちゃんと読んだのはこれと『絶対音感』くらいだけど、取材対象や、著者ご自身の思いに対してすごく誠実な態度で書かれている気がして、読むと背筋が伸びる思いがします。しかもこの『セラピスト』は、最相さんご自身のことにもう一歩、踏み込んでいる。そうまでして書く姿勢に、尊敬の念を禁じ得ません。というか、とてもかっこいい、凛々しい、というか。

以下すべて、下記からの引用です。
最相葉月『セラピスト』(新潮社、2014)

 ところが、私のクライエントが持ってきた絵は、そうではなかった。じっと見ていると、自分が伝えたいことがしみてくるのです。美しく、切なかった。
 それからは、クライエントに害を与えずに自然に美しい絵が描けるような補助技法を模索するようになりました。
(9ページ)

 木のてっぺんが描けないのは、青年期までの被験者に多いらしく、未来に希望を持って努力しているが楽天的で注意深さに欠ける、とバウムテストの参考書で読んだことがある。成人の場合は、空想的で知的達成への欲求が強い人に見られるようだが、いつも高すぎる目標を設定してうまく呼吸が出来ずにあがいている自分そのままである。ただし、中井はここでも解釈しようとはしなかった。
(18ページ)

 学芸会に初めて出演し、友だちの誘いに応じるようになった。学校が忙しいからといって木村との面接をキャンセルすることも増えた。なによりも大きな変化は、母親がYのことを自閉症といわなくなったことだった。
(38ページ)

 箱庭とは、クライエントが一人で作るものではなく、見守るカウンセラーがいて初めて、その相互作用によって作られるもの。
(44ページ)

 箱庭療法とはつまり、言葉にしないことに意味があるということなのか。では、言葉にしないことでなぜ回復につながるのだろうか。患者がいて、そばで見守る治療者がいて、共に箱庭を鑑賞する。そんな日々を重ねるだけでなぜ人が治るのか。そもそも、治る、回復する、とはどういうことなのか。
(49ページ)

 私は取材を続ける一方で、一つの計画をたてた。臨床家を目指す人々が通う大学院に通い、週末は、臨床心理士を始め対人援助職に就く人々が通う専門の研修機関で共に学びながら、臨床家になるための、またプロの臨床家であり続けるための訓練の一端を知ろうと考えたのである。
(50ページ)

 カウンセラーはただ横にいて見守るだけで、解釈するわけでも、何かを予言するわけでもない。
(71ページ)

 不登校などの児童臨床に長らく携わってきた精神科医の山中康裕京都大学名誉教授はいう。
「カウンセリングでの話の内容や筋は、実際は、治療や治癒にはあまり関係がないんです。それよりも、無関係な言葉と言葉の”間”とか、沈黙にどう答えるかとか、イントネーションやスピードが大事なんです。だから、ぼくが記録をとるときはそれを省略しません。(以下略)」
(74ページ)

 カウンセラーの三原則をやさしく書き直すと、カウンセラーは自らを偽ることなく、誠実さを持ちながら、クライエントに深い共感をもって、ありのままを受け入れるーーとなるだろうか。
(109ページ)

 河合は自伝『未来への記憶』においても、ロジャースの功績を大きく二つ指摘している。一つは、カウンセラーの受け答えによってクライエントの話が左右されると説いたこと。もう一つは、精神分析の理論を携えずともカウンセリングができることを逐語録をもとに明快に示してみせたことである。
(113ページ)

 胸がどきどきする。私は、二十代のときに母親が脳出血を起こしてからこの二十年あまり、東京と神戸を往復する遠距離介護を続けてきた。ここ十年は父親ががんで声と舌を失って普通食を摂れなくなり、すでに家を出ているきょうだいも幼い子どもを抱えていたため、私が動かなければどうにもならない状態が続いていた。
(176ページ)

「絵はメタファー、喩えを使えるのがよいと、以前おっしゃっていましたね」
「ソーシャル・ポエトリーといって、絵を描いていると、たとえば、この鳥は羽をあたためていますね、といったメタファーが現れます。普通の会話ではメタファーはない。絵画は言語を助ける添え木のようなものなんですね。言語は因果律を秘めているでしょう。絵にはそれがないんです。だから治療に威圧感がない。絵が治療しているというよりも、因果律のないものを語ることがかなりいいと私は思っています」
(180ページ)

家族にも他人にも自分の悩みを打ち明けたことはほとんどなく、自分自身で解決してきたという思いがある。内面を言葉にしない。いや、言葉にできない。私のそういう姿勢が、逆に家族や友人にどんな思いをさせ、どんな影響を与えてきたかは想像したこともない。
(187ページ)

 これくらいにします。これから読む人の、読みたい気持ちを削ぎたくはない、むしろ読みたいと思っていただけたら、いいな、と思います。最相さんの本はいつも、想定も美しいです。クラフトエヴィング商會の吉田篤弘吉田浩美さんの装丁。紙の本をお薦めします。

セラピスト

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