ジェームズ・ポンソルト『人生はローリングストーン』The End of the Tour(2015)を観ました。

 ポストモダンの旗手、と謳われた新進気鋭の作家に『ローリングストーン』誌の記者が密着する、というストーリーをきくと、『あの頃ペニー・レインと』みたいな、無軌道で破天荒なロード・ムービーを期待するけれど、アーティストといってもミュージシャンと小説家の違いなのか、60年代と90年代の違いなのか、話はローテンション、低空飛行のまま続く。

 だからつまらない、退屈なのかというとこれが面白い。ジェシー・アイゼンバーグ演じるRストーンの若手記者は、自らも小説を書いて、売れていないながらも出版したこともある。ジェイソン・シーゲルが扮している小説家、デヴィッド・フォスター・ウォレスとは年齢的にも近く、記者にとっては作家はできのいい兄貴みたいなものだ。

 彼の小説に打ちのめされて、自作を朗読する作家のプロモーション・ツアーに同行取材を申し入れる記者は、憧れの作家に打ち解けながら、次第に嫉妬を抱いてることに気づく。

 旅を続けるうち、「取材対象と記者」を越え、友情かあるいは同士、師弟といった「深い」関係を結びそうになるが、二人のあいだにはテープレコーダーがある。この関係ははじめから非対称である。記者のいう言葉でいえば「駆け引き」から、どうしても逃れられない。それがとてもスリリング。

『人生はローリングストーン』というとダサい邦題のようだけど、人生のなかで、関係性のなかで演じること、演じているからリアルじゃないのではなくて、瞬間瞬間のなかでくっついたり離れたり、演じたり素になったり感情が昂ったり落ち込んだり。彼らに寄り添って感情を静かに波立たせていると、こういう映画こそが最高のエンターテイメントで、それにふさわしいタイトルだとも思えてくる。観られてよかった。