クリント・イーストウッド『J・エドガー』J. Edgar(2011)を観ました。

 誰からも好かれず、というより誰よりも嫌われていたらしい人物=FBI初代長官であり、半世紀に渡りその座にあって歴代の大統領さえも、彼らのスキャンダルを握ることによってコントロールしていたというJ・エドガー・フーバーの半生を描いた映画――というふうに聞いていて、そんな奴の人生を二時間ものあいだ見せられて、辟易しないかと予想していたら、案の定、権力への野心や自己顕示欲を隠さないJ・エドガーの、手段を選ばない権謀術数の数々に、「想像以上だ」と驚きつつ、見終わったあとはなぜか、彼に同情しシンパシーを抱きあまつさえ彼のために泣きそうになるくらいだった。クリント・イーストウッド監督の、クリント・イーストウッド非主演作品のなかでも一、二を争うくらい好きな映画だと思った。

 黒人や同性愛者への露骨な差別感情を見せて、キング牧師に対し不倫の証拠テープを送りつけてノーベル平和賞を辞退させようとするなどのくだりは卑劣極まりない。彼の人格形成に、息子に対し過剰な愛情を注ぎ支配する母親の影響――自らも同性愛者でありながら、「強い男」の姿を息子に望む母親に応えようとするあまり自己を抑圧するJ・エドガー――があり、それによって彼の人生を説明しようとする筋書きは分かりやすすぎるくらいで、しかしそういう「物語」だけでこれだけ心を動かされるわけではないはずで、イーストウッドの他の映画と同じように、主人公は自己の内面を饒舌に語ったりはしない。むしろ口に出している言葉と心情との乖離こそが、ドラマや感情や彼の(わたしたちの)人生を駆動する原動力である、ということを強く感じさせる。

 わたしたちは彼の(わたしたちの)醜さゆえに、彼を(わたしたち自身を)愛すのだ、と思った。

J・エドガー [DVD]

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