日々のレッスン #1

 よくある話だが、夏祭りの会場である市役所まえのビーチに作られた階段に並んで座り込み、
「もうコイツ宇宙ごみになればええのに、と思ってたわ」
 と言われたSは、三十六歳、結婚七年目。日がすっかり暮れきった砂浜では幼稚園児が走り回り、保護者たちは彼らと同じように砂浜と平行に作られた階段に座り込む。
 宇宙ごみになればよかった、というのはSの昨夜の言動が理由で、Sは実のところ、何を言ったのか、何をやったのか半分くらい忘れていた。だから彼は、
「ごめん。悪かったよ」
 と素直に謝れたのだろう。
 4歳になる息子は興奮して砂を投げている友だちの男の子を叱りつける。
「そんなんしたら悪りぃ!」
 この「そんなんしたら悪りぃ!」は、息子とやっているプランターでの野菜作りで、このところSもよく言われている。プランターでSは息子と、ミニダイコン、ミニニンジン、ホウレンソウ、ルッコラコマツナなどを作っているが、主導権は4歳の息子が握っている。Sはそもそも園芸の知識がないどころか、葉もの野菜の葉も見分けがつかない。
 息子はそのことをよくわかっていて、Sが聞きかじりの知識で、
「水はたっぷりやらなあんねんで」
「二週間に一回、追肥と間引きするんやって」
 というようなことを言っても、
「父ちゃん知らんやろ」
 と一蹴されてしまうのだ。
 しかし息子の「そんなんしたら悪りぃ!」も嬌声をあげながらあっちへ行きこっちへ行きする彼の友人たちの喧騒に掻き消される。Sと妻、多くの親たちはそれを階段に座ったまま眺めているだけで、子どもたちが放っておけばいつまででも動き続けているように見えることにSが感心しているのは、他の親たちと同じだ。
 しかしSは肝腎なことを忘れていた。今彼は宇宙ごみだった。
「だからよぉー、座ってないでもうちょっとカナメの近くで見守っといたってよ」
 Sの妻であるMは言った。側から見れば何度繰り返されたかもしれないやりとりだが、夫婦の日常のやりとりを側から見る者はない。一神教の信者ならそういうものも信じるだろうか、とSは考えてみたが、それならやおよろずとか多神教の神でも同じかも知れない、
「お天道様と米の飯はなくならねぇよ」
 と考えるくらいは能天気な人物ではあった。
 Sは言われるがままに息子たちの群れに近づいてみると、
「だれのおとうさぁん?」
「へんなおじさんや!」
「へんなおじさん、へんなおじさん」
 囃し立てられた。
「カナメの父ちゃんやで」「だれがへんなおじさんや?」
 というSの発言は聞き流され、
「へんなおじさんや、へんなおじさんや」
 と合唱のように続いて、この特徴的な節回しをつけた「へんなおじさん」は、家でも息子が口癖のようにのたまうのでSにも聞き覚えがあり、元を正せばSたちの世代がテレビで見たギャクだった。メディアの影響力はすごいが、親の影響力もすごい。
 カナメの幼稚園への送迎はSの妻のMの仕事で、彼を乗せる車のステレオにはMDしかない。音楽には一家言あるらしいSがMDを作る。MDは今や旧時代の産物となり、空のディスクを購うこともままならないので、手持ちのディスクをやりくりして、入れては聴き、飽きては消し、また新しい曲を入れては聴き、消しを繰り返している。このところずっとデッキに入っているのは「ペンギン・カフェ・オーケストラ」で、「しろくまカフェ」という白熊がカフェを経営するアニメが好きなカナメはペンギン・カフェも大好きだ。
 子どもは芝居の台詞のような説明的な発言をするもので、
「ペンギンカフェ、カナメ大好きな音楽なんや」
 と朗読するように言ったりする。子役の棒読みの台詞も、だからリアリティがあるものなのだ、ということは子どもができてみて知った。
 「宇宙ごみ」から「へんなおじさん」になったSだが子どもたちには一瞬で飽きられた。というより大人の男が来たら「へんなおじさん」と自動的に言うようになっているらしくて、一群の子どもたちはすぐにばらけて思いおもいの方向へ駆け出していく。一応カナメの通う幼稚園のイベントであるはずの夏祭りだが、自由時間のような時間が長くてただ夜の海に来ているのと変わらない。子どもにとっては海は海で、砂浜は砂浜で、お友だちはお友だちで、日常とか非日常とか、出来合いとか作りものとかリアリティとかは、関係のないことのようにSには思えた。
 息子のカナメはクラスメイトのこうちゃんが大好きで、いつもSには見せないような笑顔で「こうちゃーん!」と呼びかけながら、後ろから抱きついていくのだが、こうちゃんが喜んでいるのか嫌がっているのかはSにはわからない。SだってSの妻のMだって、筆者だっていつかは子どもだったはずだが、子どもだった自分をわたしたちはどこまで憶えているのか? 思い出話なんてくだらない、と若者なら誰だって思うが、親になるような歳を過ぎると思い出話を少しもしたがらない人の方が珍しい。
 だがSも筆者と同じように、子どもの頃のことはよく憶えていなかった。二九歳で結婚したとき、披露宴で自分の生い立ちを紹介するスライドショーを上映した。実家のアルバムにあった昔の写真を引っ張り出して、生まれたばかりの赤ん坊の自分、五歳の七五三の自分、小学校の初登校の日の自分、遠足や運動会の自分、学生服を着た自分を並べてみたがーーどれも自分の体験したことという実感がなかった。それが自分だけの感じなのか筆者には分からず、他の人にも、ましてSには尋ねたこともない。
「◯◯幼稚園の皆さん、保護者の皆さん、今からジャンケン大会を始めまぁーす。こちらへお集まりくださぁーい」
 今日のイベントを仕切っている保護者会の一人が、階段を上ったところにある海の家の前の広場からマイクで呼びかける。ますます暗くなった夜の海辺で、ふだん寝る時間を過ぎた子どもたちの喧騒は高まるばかりで、全然収拾がつかない。
「今からわたしとジャンケンをしてもらいます。勝ち残った人にはプレゼントを用意しています。皆さん用意はいいですか?」