三度目は何もしないでいて

H26.1.23.Thu.

 帰ってきていまは映画を観る気にも本を読む気にもならずただテレビを点けていて気づいたのはテレビに出ている人が世代交代していないことだった。
 そういうことはだいたいネガティブに語られることになっていて
「もうテレビも終わりだな。」
 ということになるのだが、そのテレビが面白い。というか、わたしが好きなテレビ番組は、「鉄腕ダッシュ」とか「県民ショー」とか「劇的ビフォーアフター」とか、「漢字」+「カタカナ」の番組名、という話ではなくてベタであるがゆえに長寿化している番組で、出ている人もやっぱり世代交代していない。
 これでずっと世代を下っていくと、バカは考えなしに子どもをいっぱい産み育てるが頭のいい人間は子どもを産まないのでそれがずっと続くと世のなかバカばっかりになっていた、というSF映画、「Idiocracy」(邦題「26世紀青年」)のようになるーーというのも違って、これからもずっとわたしの世代が、少なくともわたしが見たいものがかかり続けるのがテレビ、ということになるんじゃないか、とふと思った。
 いまはテレビはメジャーなメディア、という言い方はしなくて「マスメディア」だけれども、ずっとこのままいけばマイナーな嗜好になっていってするといきおいわたしの好きな文学とか、文学、とくに日本で純文学といわれているものは書籍の部数で数千部とか、ひとりで会社をやっている出版社(リトルプレスとかいわれる)がガンガンあるくらいでその世界では有名でも実はすごくマイナーな芸術ジャンル、ということになっていて、それを言ったら現代美術もそうかもしれないが、現代美術はいまはベネッセの直島のように観光になる。
 それでテレビだけれど、遠くない未来にはテレビで見られるものはわたしの好きなものばかりになって、年老いて友人もいなくなってもテレビがあれば寂しくないんじゃないか、とちょっとだけ本気で思っている。
 吉本隆明糸井重里との対談のなかで言ったことで
「わたしがテレビばっかり見ているのは、寂しいからです」
 というのをわたしは忘れられなくて、読んでから15年は経っている。15年後、30年後にまだテレビがあるとしたら、わたしはそれが身に沁みているような気がしてならない。