書き初め

H25.1.15 Wed.

「今年は小説でも日記でもいいから、毎日少しでも何か書こう」と思うだけは思っていたけどもう1月15日で、まだ何も書いていないというのはよくあることで、毎日書こうと思うことがあるわけじゃない。
 去年は映画を214本観て(ほとんどDVDだけど)、文化的なことといったらほとんどただそれだけをしていて、年の初めまで書き続けていた小説は頓挫した。映画に限ったことじゃなくて、続けて何かをするのは面白い。それが仕事では感じられないのがわたしの弱点かもしれないけど家でまでそんなことは考えたくないな。
「田舎に住むようになって物欲はなくなった」というのは半分は本当で半分は嘘で、いつも少ない小遣いで何を買おうか考えている。しかしそのほとんどを買うことはない。
 いま欲しいものはAmazonの「ほしい物リスト」によれば、エレコムCD/DVDスリムウォレット 330円、CD「ニッポンモダンタイムス「SWING GIRLS」」、CD「Mud Day」QN From SIMI LAB、ビートルズTシャツ、CD「アイ・ゲット・ア・ブート・オブ・ユー」マーティ・ペイチ、「桃屋の穂先メンマ やわらぎ お徳用」、瀬戸内寂聴「花芯」(講談社文庫)とかみたいだけど、本当にこれ欲しいのかな。よくわからない。ほとんど買うあてのないものを見て、「ほしい物リスト」に入れていくこの行為は何なのだろうか。気の利いたエッセイを書く人が名付けていないだろうか。
 4歳になった息子は獅子舞が好きで嫌いで、でも好きみたいです。毎晩みずから考案した「獅子舞寝た寝た」ごっこをしている。妻や妻の妹に布団を被らせて「獅子舞」をやらせて、自分は棒のようなものを持って歩き回り、
「獅子舞寝た寝た」
 と囃し立てながら歩き回る。気が済むまでやったら妹の部屋に置いてある拾い集めた木の枝を持ってきてさらに
「獅子舞寝た寝た」
 とやる。ひたすらやる。次にまたその部屋から鈴を持ってきてひとしきり振る。それを元あった部屋にかたづけてから、
「気をつけ!」
「ありがとうございました!」
 ーーと、がなり立てる調子で言って、終わる。最近は獅子舞役を立てずに儀式だけをやる場合もある。その全てを息子がプロデュースして行う。このようなごっこ遊びは他の子どもたちもやっているだろうか。獅子舞ではやっていないだろうが、それを特別だと思うのはわたしがこの子の親だからだろうな。
 近所のお祭りでやる獅子舞は好きで見に行くが獅子舞は怖くもあり、遠巻きに顔を伏せるような感じで見ている。息子が獅子舞を好きなことを知った近所に住む妻の叔母さんが本物をひとまわりふたまわり小さくしたような、おもちゃをくれる。それを被って遊んでいた息子は1日で壊してしまった。ひどく泣いたらしい。