れみふらいらいかえんじぇ。

 土曜日に、「人のセックスを笑うな」を寝床で夫婦で。ライフタッチノートの7インチの画面で、音はヘッドフォンで。となりでは息子が寝ている。
 こういう状況で観る映画は映画館で観る映画とずいぶん違うだろうと思う。しかもDVDで借りたのをmp4に変換して、20分くらいずつに細切れにしたファイルで。
 その20分が観ているこっちの気持ちの区切りになる。しかも金曜日と、二時間の映画を一時間ずつ二回に分けて観たのだ。
 結論からいうと面白かった。正直にいうと観る前はあまり期待していなかった。いや、観たら面白いのは、たぶん、わかってもいた。監督の『犬猫』も好きだった。こういう一見大事の起こらない「静かな」映画はわたしの好みだ。
 わたしのようにあまり数を観ないものでも、こういう静かなよくできた日本映画が多いような気がする。静かでよくできていることが悪いわけじゃない。そういうことが観る前からわかっていて、観たところでまた面白いと思えるだろうか? というような感じが観る前のわたしにはあった。
 それは杞憂で、よくできている映画は映画だから生身の人間が動いていて、『』付きの映画のなかのフィクションの時間であると同時に、映画の画面に映っていることはわたしたちのこの世界で起こったことでもある。
 こういう映画を観るとそれを思い出します。
 永作博美がいいだろうということもわかっていたけど、やっぱりよかった。わたしが一番好きだった場面は、みるめがエンちゃんとユリを捜していて、ギャラリーで藤田陽子マリマリに会う場面。
 ここの藤田陽子マリマリがいい。
 映画は主に主人公とその傍にいる人たちのお話であるわけだけど、こういう場面で藤田陽子マリマリのような人物がいいと、わたしはその映画を信じたくなるし、この世界を信じたくなる。
 いくら毎日の半分にくさくさしていても。