メルヘンを書こう。
ハジメくんがわたしに言いました。
「チンパンパン!」
わたしは答えます。
「チンパンパンって何?」
(わたしを指さして)もう一度ハジメくんが、
「チンパンパン!」
チンパンパンはハジメくんが最近覚えたことばで、図鑑で見たチンパンジーのことなのですが、ことばを覚え始めた男の子の頭のなかでどうなっているのか、最近はわたしやあなたやハジメくん本人を指してハジメくんは、
「チンパンパン!」
というのです。おもしろくてわたしも、
「これは何?」
「じゃあこれは?」
パンダのぬいぐるみや写真のなかのおじいちゃんを指さしてあげると、ハジメくんはまた、期待どおり
「チンパンパン!」
といったり、間違って、
「じいじ。」
といったりするというわけです。おじいちゃんの写真なので、「じいじ」で合っているのですが。
わたしはというと、毎日まいにちままならない仕事のことで頭がいっぱいで余裕がなく、ぐったりして家に帰って、ハジメくんの顔を見て一日で初めて、生気を取り戻すのです。そのようにして一日いちにちは過ぎていって、わたしの知らないうちにわたしは歳をとっていくのだなあ、というふうに考えたりもします。
だからわたしはメルヘンを書くことにしました。メルヘンはこう始まります。
*
ドアを開けるとそこは見たことのない場所でした。というより、光ってよく見えませんでした。手にはぬいぐるみのクマを持っていました。そういうハジメくんもブリキのおもちゃでした。ハジメくんとクマのぬいぐるみの「ファファ」は、キラキラしてやわらかいもののうえに浮いているのです。規則的に上に下に揺れています。
視界は同じように、上に下に動きます。
見上げると、高いところを小さな鳥さんが飛んでいます。鳥さんはずっと高いところにいたので、ハジメくんにとってはとても小さい鳥でしたから、ブリキのハジメくんはいいました。
「ちいちゃい!」
もう一度いいました。
「ちいちゃい! ちいちゃい!」
何度でも繰り返しいいました。
「ちいちゃい! ちいちゃい! ちいちゃいちいちゃい!」
すると鳥さんはハジメくんに向かってぐんぐんぐんぐん近づいてきて、鳥さんは大きなおおきなワシさんでした。
身構えるまもなく大きなおおきな黄色いくちばしで、ワシさんはハジメくんをつかんでまた空高く舞い上がりました。
「ひゃっほーい!」
ハジメくんが右手でしっかとつかんでいたクマの「ファファ」がいいます。
ワシさんはずっとだんまりのまま。高くたかく上っていきます。
やがてまた、知らない場所に出ます。
目の前の建物に突っ込んでいくワシさんとハジメくんと「ファファ」。ドアは空いています。
一直線にドアを潜り抜けると正面の壁に、みんなでいきおいよくぶつかりました。
そこはハジメくんの家でした。ハジメくんがぶつかって、いまは頭からかぶっているのは、おばあちゃんの作ったパッチワークの大きなタペストリーだったからです。
あなたが想像しているそのとおり、ワシさんも「ファファ」もそこにいません。ハジメくんは人間でした。ブリキではなく、チンパンジーでもありませんでした。
もうすぐ、パパとママとおじいちゃんとおばあちゃんが帰って来ます。パパの車の音が聞こえてきたからです。ハジメくんはそれを聴いて歌いました。
「いいこと、ば、か、りは、あ、りゃしない。かねがほしーく、て、は、た、らいてーねむーるだー、け。」
その声はみんなにも聴こえていたはずでした。ワシさんにも、「ファファ」にも聴こえていました。もちろん、ブリキの「ハジメくん」にも聴こえていたということです。
わたしはそれを、夢のなかでブリキの「ハジメくん」に聞いたのです。クマのぬいぐるみの「ファファ」もそばにいましたが、ワシさんはやっぱりだんまり。
*
メルヘンはそんなふうに始まるのです。メルヘンは毎日始まって、それはずっとずっと続くのです。わたしたちがここにこうしていられるのは、そのためです。ほんとうに。