「皇国の戦争目的は殺して分捕ることであります。」

 土曜日に東京で同級生の結婚式でそいつのプロフィールに、「尊敬する人:東堂太郎」とあった。
 東堂太郎は大西巨人の小説『神聖喜劇』の主人公で、『神聖喜劇』といったらノーベル賞100個取ってもお釣りが来るくらいのすごい小説なんだけど、東堂太郎は、出席していた別の友人が言っていたように、
「“ドラゴンボール孫悟空”って書くのと一緒やんな。」
 つまり超人的な人物なのだけれど(架空の人物でもあるし)、彼が「尊敬する人:東堂太郎」と書いていて、他の二人くらいの友人ともそのことについて話せたのはなんか久しぶりに嬉しかった。でも、あとでぼんやりと記憶を辿ってみると、東堂太郎が尊敬に値する人物であることに異論はないが、他の登場人物、大前田軍曹とか村上少尉とか俗物の神山とか、「皇国の戦争目的は殺して分捕ることであります」の鉢田とか、どんなに脇役で駒のように見える人物でも、「ただそれだけ」で片付けられないのが『神聖喜劇』のすごさで――とか書いてますが、本当は「金玉問答」とか「賤ヶ岳の七(なな)本槍」とか、キャッチーな細部いがいはうろ覚えでしかないのですが――「尊敬する人:大前田文七」と書いてもあながちおかしいとは言えない。

 東京に行くというと、東京にはわたしには行けば会いたくてたまらない人が三人くらいいるのだが、全員には連絡を取ることができなくて(物理的にできないわけじゃなくて、気持ち?の問題)、連絡を取った人とも会うことが叶わないことになりそうだとなったところで映画を観ようと思っていた。というのはそれまでの数日で、ひどい腰痛に悩まされていて歩きまわることはできそうになかったからだった(まだ33歳でこんなこと言ってていいんだろうか)。それで朝いつものように聴いていたピーター・バラカンのラジオ「バラカン・モーニング」でちらっと、「神保町の岩波ホールで公開」ということばを聴いて、頭からその話を聴いていなかったから「岩波ホールやっているらしい映画にピーター・バラカンが関心があるらしい。」というきっかけだけで、観る気になった。なぜかわからないけど。

 その時点ではどんな映画かもまったくわからなかったけど、なんとなく観ておいた方がいいと思った。それが先日の日記に書いていた『おじいさんと草原の小学校』で、結果的には観てよかった。ほのぼのとしたタイトルですが、内容は、「かつてケニア独立のために戦ったパルチザン「マウマウ団」であった八十を超えた老人が、無償教育の始まった現代のケニアで、小学校に通う。」というもので、実話に基づいた話。当然アフリカの苛烈な現代史を踏まえたシリアスな話なのですが、息のつまる感じはなくて後半のクライマックスともいえるシーンでは大きな笑いも起こったりする。イギリス人の監督によるイギリス映画で、ケニアはイギリスの植民地であったわけでこの映画でも体制派のケニア人の部下を使ってマウマウに拷問を加える(主人公・マルゲ老人もかつて目の前で妻と二人の子どもを殺され、自らも収容所で手ひどい拷問を受けている)、というような場面も、当然、出てくる。そういう映画を遠く日本でもかかるような商業映画で、くそまじめなお勉強映画じゃないエンターテイメントの一部として撮れるのが製作者個人の力量かお国柄かヨーロッパ文化なのかわからないけど、日本にもこんな映画あるのかなあ。あったら観てみたいです。
 音楽にヴィユー・ファルカ・トゥーレとか使われてたから、バラカンが言ってたのはこの映画でたぶん間違いないのだと思う。

 そのあとで中国から日本に帰ってきた弟と会うことができて、夕方空港の手荷物検査で引き出物のシューキーパーが引っかかったりして(「何か金属製の長い棒が入っていないですか?」)帰りました。

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇 (第1巻)

神聖喜劇 (第1巻)