レボルーション、ソルーション、タイガーズ。

 音に敏感な人で、屋外の物音に反応して、隣にいるもう一人に近づいて、くっつく。
 しばらくすると離れる。
 少し離れた場所で、第三者的にそれを傍観していると、ほほえましくさえ感じるようだ。
 もう一人いる。
 庭の木にいつからか虫がついている。取っても取ってもいるのだが、農薬を撒こうとは思わない。最初の人に気を使っているのだ。虫を根絶やしにする薬が人にとっても健康にいいはずがない。
 その人の対になる存在として、更に一人いる。女性である。彼女がその日、出かけると、久しぶりの人に出会った。女性はずっとこの街に住んでいるから、出会った人もこの街の人でそれでも久しぶりということは、二人の行動範囲、行動様式はずいぶん違うらしい。
 その人(女性が出会った人)は言った。
「昨日の虹、すごかったですね。」
「二重、でしたねえ。」
「新聞にも、出ていたし。」
「出てましたねえ。」
 会話しながらも「なぜ、その話を」と彼女は思う。久しぶりに会ったのだからお互いの近況を伺うものではないのか。
 だからといって、「この人と結婚しなくてよかった。」とまで考えるのは極端というものだ。女性は忘れているかもしれないが、その昔この人とセックスさえしたかもしれないのだ。
 とはいえ女性でもその相手でもどちらが思ったとしても同じことだが、忘れたのならなかったことと同じなのだ(つまらない病気をもらったりしているのなら話は別だが)。
 音に敏感な人はまた、気に入った音の並びを繰り返し発語することもすこぶる好きである。
 音を記号で表現すると、「A-B-A-B」「A-B-A'-B'」となるようなものが特にお気に入りだ。
 おわかりだろうか?
 前者は「だいだい」(橙)、後者は「タイダイ」(絞り染め)などである。
 語尾を音引きする単語が好きなところは、八十年代のライターのようですらある。
 それに毎日付き合っているのがわたしというわけだ。タイダイの洋服は買ったことがない。あるとすれば、靴下くらいだ。せめて一度くらいは、Tシャツを買って(着て)から死にたい。
 それ以上にまず、長生きしたい。
 何をするにも理由を求める人、どんな計画を立てるにも具体案を求める人、そういう人がまず一番嫌いだ。