いい景色。

 わたしの卒業いらいほとんど会うことのない後輩の女の子は言います。
「前を行くのは軽トラックで、まっすぐな国道を少しゆっくりめに走るんです。ゆっくりめ、というのは時速60キロメートルくらいのことですよ。この道は今言ったようにまっすぐだから、ふつうに走るともっとスピードが出るんです。
 わたしはいつも思うんですけど、『法定速度』というものが決まっていてどうしてその何倍もの速度で走ることが可能な乗り物が売られてるんですか?」
 あろうことかそんなところで彼女は言葉を切るので、わたしは答えなくてはいけません。けれどそこで黙っているのがわたしなので、彼女もわたしとの付き合いでそのことを認識はしているようです。
「じゃあどうしてそこで話を切るのよ。」
 それくらいは言ってしかるべきなのかもしれませんが、わたしは一応、あいまいな笑みを浮かべるだけで黙っています。
 窓の外を車が何台も走っています。彼女の家の前の道は産業道路の迂回路になっているので、車の通りが多いのです。本当のところ、実際に車が走っているかどうかはわからないのはわたしはそのように想像しているだけで、わたしと彼女は通信機器を使って遠隔的にコミュニケーションしているのです。
「軽トラックはまっすぐ走りながら、ずっと左にウインカーを出したままなんです。たぶん忘れているだけなんです。でもわからないのは、わたしは『忘れているだけだろう。』とわかっているのに、軽トラックが左に曲がるのをずっと期待していたんです。
 だからしばらくして、本当に左に曲がったときにはなんだか嬉しかったんです。」
「ぼくは新聞を読んだよ。」わたしの話したいことはとりあえずはそれだけだったので、話し始めました。
「全国紙でも地方紙でも、風物詩みたいな記事がのるでしょう? 昨日の地元紙の一面にあったのが、
『雨上がりの二重の虹』
 っていうの。そのまんまで、このあたりで日中雨が続いて、夕方に雨が上がったそのあとで、大きな虹が二重にかかったんだよ。それが市民の目を楽しませ、気持ちを和ませた、って。」
 聞いているのかいないのか、彼女はほとんどわたしの言葉尻にかぶせるように言葉を接ぎます。
「『そんな「屋根のある家を建てた」のだと、戸建て住宅へのこだわりが父親にはある。
 屋根の上の上空には星以外になにもない。足元の屋根材がスレートだと知ってはいてもそれが実際にどういったものか父親には見当もつかない。』
 たしかにわたしも、『スレート』って字面だけは知っていますけど、どんなものかわからないな。
 先輩は?」
 彼女の言葉が何かの引用であることは、朗読口調でわかりました。わたしは通信機器のヘッドセットを外して隣の部屋、ベッドルームの足元に転がっている文庫本を掴んで来ました。
「『「ああ、やっぱり、ねぇ。
 でも、お代官様。かつていちばん欲しいと思ったものならば即座に答えられますだ」
 「ほう、過去にまでさかのぼれば、ある、というのだね。それは何かね?
 「テ、テレビでごぜぇます。あんなに、欲っしいなー欲しいよーと思ったものは他にねぇでごぜえます」、というくらい、私、テレビが好きなのね。
 とにかく、一時期、テレビさえあれば他に何もいらない、ダイヤモンドも納豆もいらない、とさえ思っていたのである。』」
 わたしは少しも説明せずにそれだけ読んで、その夜はずっとそんなふうでした。