その次昼が来る。

 より詳しく精確な話は他を当たって欲しいけれど、驚くべきことに、高レベル放射性廃棄物をちゃんと処分することに成功した国はいまだ存在しないそうなのです。頭の悪い子どもが考えそうなことだが、原発のうんことでもいうべきそれを、地中奥深くに棄ててしまおう、とどの国も考えているらしいのだが、そんなことをされることを望む地域住民はいない。それで日本では六ヶ所村の倉庫に放り込んである。――――という話を聞いて、どう考えればいいのかわたしにはわからない。わかっているのは原発なんかやめてしまえばいい、ということなのだが、しかし原発はやめるのがすごく大変だということだ。

 もう少しこの話なのだが、『アンドリューNDR114』は正直にいって、すごい映画でもないし、素晴らしく出来のいい映画とも思えない。けれどわたしが好感を持つ(例えば『世界の中心で、愛をさけぶ』のように)のは、それが200年に及ぶ話だからだ。アンドリューは映画の前半を彩るリトル・ミスとではなくその孫娘のポーシャと結婚する。おそらくは約2時間という、映画の尺の問題もあって、重要な登場人物の何人もが、アンドリューとの交歓における「別れ」がきちんと描かれぬまま時間だけが進んでいくのもいい(それは意図かもしれないけれど)。

 しかしいまわたしは、だいぶ前に友人に借りていた、庵野秀明の映画『式日』を観ているところで、最近わたしは映画は30分くらいずつ細切れに観るという見方だから(そのことを「邪道」と言われるならわたしには返す言葉がない。が、それが間違っているとは思っていない)、まだ序盤なのだが、これは素晴らしい映画で、こういう素晴らしさからしたら『アンドリューNDR114』なんて取るに足らない作品なのだけれど、例えば全く同じストーリー展開で、もっとずっと長ければたぶん傑作だと思った。『式日』の素晴らしいところは物語の進行しないシークェンス、例えば意味ありげなモノローグが続いたり、風景を撮ったカットが続いたり、その物語の停滞こそが映画なのだというところだった。『アンドリューNDR114』というお話は、結局のところ実際に公開された映画のラストシーンまで描かれなければ意味のないお話であって、途中で終わったら映画ではなくなってしまう。『式日』はどの5分を切り取っても映画だと思う。いや、わたしは映画のことなんて知らないから、映画=フィクションとか、作品、とかということでいいけれど。

 ものすごく危険なうんこを処分する術すら持たないままわたしたちは使っている。作った奴を非難するのは簡単だが、わたしたち一人ひとりがそれに加担している。わたしたちは同罪だ。

 「一刻も早い復興をお祈りしています。」という言い方に違和感を感じるという人の言葉にはっとした。わたしは芸術を通してそういうことを知っていたはずだが、本当に○○なことを(○○はネガティヴなこともポジティヴなことも入ります)体験したとき、人はゆっくりとしかそれを咀嚼し、受け入れて、動き出すことはできないはずなのだ。

 最近息子と観ているNHK教育の朝6時55分からの『0655』のこの歌!!!!
http://ugomemo.hatena.ne.jp/0F2A4690AA2F7851@DSi/movie/2F7851_0A1DFBAFFFE75_002

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