おなかが痛いから赤玉を飲む。効いたとは思えない。

 『四季・奈津子』と『タワーリング・インフェルノ』観ました。どちらも30年以上前の映画で、60年代くらい生まれの人にそういう話をすると、「何でいまさらそんなの見るの。」と言われる。作られた時代がいつだとか関係なくわたしにとっては新作なのだ、というのは昔ヴィレッジ・ヴァンガードという書店で働いていたから思うわけではなくて、そういうふうに思うからそこで働いていたのです。というのはでも本題ではなくて、映画は面白かった。でも、少し時間が経ってみると「そんなに面白くなかったな。」と思う。というのはたぶん、よくできた映画だからだ。

 『タワーリング・インフェルノ』は最新鋭の超高層ビルがシビアな火災に襲われる話で、いわゆる災害パニック映画。利潤追求ゆえの人災だったり、自分だけ助かろうとしたり逆に命を賭して人を助けようとしたりする極限状況の人間模様が書かれたり、このご時勢でなくても今でもというかいつまでも通用するような「普遍的」なテーマが描かれていると言えるし、ドラマが長尺ながら過不足なくよくできているように感じる。でもなんとうかいうか、もう全然説明できませんがそうでしかないのです。リアルだけどよくできたお話。

 『四季・奈津子』は平たく言って若い女性の「自分探し系」のドラマで、「魂ってどこにあるの。」「今のわたしにとって魂って肉体のことだわ。」とかのせりふだけ抜き出してみると今見ると苦しい。烏丸せつこも今見るとかわいいのかどうかよくわからない。胸がきれいなのは確かだけど。でも、いきなりアングラ演劇のテント芝居見に行ったり、上京する新幹線のなかで詩人の田村隆一(本人)に会ったりする展開とか、そういうギミックっぽい展開だけじゃなくて冒頭の車で病院に向かうシーンで車の走行する様子を音と映像で執拗に見せたりとか、よくわからない感じが『タワーリング・インフェルノ』より多くてそれが良かった。

 岩波書店講談社が無料公開している原発関連の論文や書籍の抜粋版PDFをプリントアウトして読む。原発の仕組みや問題点はざっくりわかったけど、これでもまだ「重大なことは隠蔽されている」と感じる。とある人のブログで、

「何か大きな事件や事故、災害が起きた場合、ほぼ同時に、少なくとも別の3つのニュースを見る必要がある。そして、例えば死亡者数や何らかの数値に関して、その3つとも全く同じであった場合、その情報の真実性は乏しいと考えることにしている。それは、そのニュースソースが一カ所か、あるいは既に編集済みの談合情報だからだ。自分自身でその事件や事故を体験しない限り、誰がどう伝えるにせよバイアス抜きの情報なんていうものはそもそも存在しないけれど、それでも、言っていることがバラバラでどれが本当か分らない、という状況の方がより真実性が増すことは確かで、そのうちのどの情報が真実に近いのかは、まさに動物的な直感で判断するしかなく、その後の行動は、ひとえに己のサバイバル能力にかかっているということだ。

 と書いてあって、はっとしたけど、そんなことふつうに考えれば当然なんだけど、なんとなくテレビや新聞などを見てしまうとつい逆に考えてしまうのだった。だからこんなの読んでないで映画観るか小説読もう。そうしないとバカになる。


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