ジスイズマイメッセージ、ツーユーウーウ。

 気分としてはたとえだれにも望まれていなくても子どものことをいろいろと書き留めておきたいと思いながら、頭のなかにいろいろの書きたいことが思い浮かびながら、息子の圧倒的な存在そのものに圧倒されて(息子のためのいろいろの雑事にまみれて、ということも大きいけれど)、なかなかこうして日記につけるというところまで至らない。なんてことを書き連ねていくうちに考えていたことをひとつ思い出してはまた忘れてしまって、いまがんばってそのひとつを思い出した。毎日いちばんよく見ているのは子供の顔なので、というのはほんとうはウソで時間の長さでいったらいちばん見ているのは職場の同僚ということになるのだが、やっぱりそれはヘリクツでいちばん長いあいだ視線を合わせているのは息子だ。

 ひとりの人間とこんなに長い時間見つめ合うということはいままでなかった。「こんなに」というのはたとえば息子がミルクを飲んでいるあいだじゅう(計ったことはないけれど10分〜15分くらい?)とか、機嫌のいい息子が「あばあば。」言っているあいだじゅうとか、こちらを見つめているあいだじゅうとかになるのだけれどそうしていると気づくことがいくつかある。人の左右の眼はこんなに形が違うのかということ。こんなに違うのにぱっと見は同じものとして見ているということ。息子の顔をずっと見ているがために人間の顔のサイズとして息子の顔のサイズが標準となって、妻の顔や義妹の顔を改めて見つめるとすごく大きく感じること、0歳児の顔の表情の変化というものは、というか人間の表情というものはこんなにも多様だったのか! ということ。これはほんとうにそうで、美術研究者の布施英利の『「モナリザ」の微笑み』という本を読むとダ・ヴィンチにしろピカソにしろウォーホルにしろセザンヌにしろ、あるいは仏教美術にしろギリシア彫刻にしろ、画家・芸術家は人の顔や表情を画布や彫像に定着させるためにさまざまの注力をしたのだけれど、「さもありなん。」というか、「さすが(優れた)芸術家というものはよく「見ている」のだなあ。」と、なんとまああたりまえというか凡庸な感想をもったのだが答え/感想は凡庸でも子どもの(人間の)顔の表情の多様さは凡庸/尋常じゃない。

 そういうことを知られるだけでも息子の存在は福音であると思う。ひさしぶりに『カフカ最後の手紙』というカフカが最晩年に両親に宛てた手紙を集めた本を読もうと思っていたら旅行でチェコに行ってきた友人からお土産にカフカのカレンダーが届いた。カフカは40歳で死んだ。野球選手の木村拓也は37歳で死んだ。人間はいつ死ぬかわからないけど、端的にいま健康であるなら、まさか自分が明日死ぬと思ってはいまい/いない。こういうところで日記をずっと書いていないとこういうところでしか私の近況を知らない、知り得ない人は私がいまなにをしてなにを考えて生きているか知り得ない。私自身、私がいま考えていることを書き留めなければ考えは私の心に残り続けない、ことばに発しても時間が経てば忘れてしまう。とはいえこういう場にそれが書きことばとして残ることはほんとうにいいことなのだろうか。『カフカ最後の手紙』に収録されているカフカの両親宛書簡は、カフカ家に保管されていたものでもなければカフカの友人・知人筋でもなく、まったく無関係の人が古書籍商に持ちこんだものだという。作家の書いた手紙というのは商品として流通したりするものなので驚くにはあたらないが、私たちはそれを読めてうれしいと思い、おもしろがったりする。

 しかし/だから、そのことと、ウェブ上に人々の思いやつぶやきがテキストデータとして痕跡を残し続けることは同じなのだろうか。わたしは(いまのところ)違うと思っている。前者は端的にいって「いいこと」「うれしいこと」「心地いいこと」の感じがするのだけど、後者には私には違和感をずっと感じ続けている。つぶやいたことばは、そのときちょっとあたまに思い浮かんだことは、「そのとき」のものとして消えてしまうべきじゃないのだろうか。4ヶ月弱の息子の見せるいまの表情は4ヶ月のいまにしかないもので、10年すれば、いや1年すれば、数ヶ月すれば私の記憶のなかで薄らいでしまうかもしれない。記憶なんてことを言わなくても、いまこのときのこの顔はいまこのときにしかない。ダ・ヴィンチピカソが彼らなりのやり方で、「モナリザ」や「泣く女」に様々な角度や時間の表情をひとつの顔のなかに表現したことはすごいことだけれど、そのために彼らはものすごい芸術的な「作り込み」をしたのだ。カフカの書いた32通の手紙は数十年のときを経てたまたま見つかって、それが他ならぬ「カフカが書いた手紙」であるがゆえにこの世に残り伝播され日本語にも訳されて2010年の私の読むことが叶う。

 いま私がこうして書いていることがウェブ上に残り続けるかもしれないことにほとんど私の能力や努力は関与しない。幼な子が生きていられるのは親などの保護者が護るからである。「人は生きていることの意味や価値を生きているあいだはうまく考えることができない」。そういうふうには思いたくない。だからといっていまうまくできているとも思えない。以前耳にした、

“私の身に起きたことは、すべて「私のせい」である。”

 というある人のことばはものすごく重たい。「それはいくらなんでも言い過ぎだろう。」ともやはり思う。末期がんになってしまった30代の男性がそう思えたということはどういうことなのか。そう思えるようになったということで救われた、ということはどういうことなのか。私たちにはあまりにも考えが足りなさすぎる。私たちは長い年月をかけて努力を重ね、道具を作り環境を「整備」して、私たちの生活のなかにかつてなかったニッチとしての時間や空間を作り、それを精神的なゆとりや豊かさだと言ってきた。しかし/だからそのことによって私たちは実は考える時間を失っている。息子をずっと見ていると「論理」とか「理屈」とか、「弁証法」とか「因果律」とか、いかにくだらないかということがわかる。私はたとえそれらが苦手でも、それらを知っているからこそそう思えるということは知っている。息子にとってまだ世界と自分は分化していない(私の知識が正しければ)。世界と自分の境界がわかっていない。「世界」と「自分」が違うものだということがわかっていない。面白いのは息子が何もないカベを見ながらふと笑ったりすることで、しかもそれが数日続いたりする。見ているカベはいつも同じ場所のカベなのだ。妻や義妹や義父母は「カベ様」とか「ひいばあちゃんがいる。」とかいったりする。それはそれでいいものだけれど、そういうことがただあることそのものが面白い。

 なにか大きなできごとが起こるとそれに触発されていかにもマジメな顔をして「大事な問題だから」などとのたまい、それについて考えない者に対して社会性のないバカでも見るような顔をして見下すような人たちは間違っていると思っている。だがなにかが起こるからこそ人はなにかを考えられるという側面もたしかにある。いっぽうで「脳」には外からの入力がなくても自発的に活動するという特徴もある。あるいは、胎児はまだ脳が未発達な状態のころからすでに、全身を使って運動しているという観察結果もある(小西行郎『赤ちゃんと脳科学集英社新書)。しかもその運動は外部刺激に応じてのものではなく、自発的な運動なのだという。

 なにも、ほんとうになぁんにも、「答え」をもたない私は息子になにを教えられるというのか。先述した布施英利は幼いころの自分の息子の言動から、かれを「ちびっこ先生」と呼んでいたというが(たとえば公園で遊んでいて、遠くにいる大人を見て、「なんであの人、大人なのにあんなに小さいの?」と言ったそうだ)、私が子どもから教わること以上のものを私は教えることができるのか。私たちはいったいいつまで生きられるのか。べつにそんなに深刻にならなくても、ちょっと考えるとぞっとするくらい恐い気持ちにもなるけれど、しかしいま私が息子から与えられているものは「歓び」と呼ぶ以外のラベルを貼れないものであり、私がいままで、そしてこれから経ていくような曲折を、私の子どももまた経験していくその過程で、私はかれに恩を返していかなければならないとしても、それは歓び以外のなにであろう? 人類学者のマルセル・モースはフィールドワークによってポトラッチなどの交換体系を研究して、『贈与論』を書いた(読んだことないけど)。大学に入った頃にそういう授業があったのは憶えている。私と同じように子どもが大学に入ったとして、「せっかくだからちゃんと勉強した方が面白いよ。」と言ってあげたいが、私ならたぶん聞く耳を持たない。そういう日が来るだろうか。来ればいいと思う。

 「たしかなものはなにもない」のだ。だからこそ、「たしかに」私や息子やあなたはいまここにいて、ここにいるということは生まれてからいまここまで、私たちは生きてきたということなのだ。ありていにいえば、それはたとえ不幸でも幸福だということだ。とか書いて閉じるのはあまりにもアレだから、

"Don't worry about a thing,
'Cause every little thing gonna be all right.
Singin': "Don't worry about a thing,
'Cause every little thing gonna be all right!"

Rise up this mornin',
Smiled with the risin' sun,
Three little birds
Pitch by my doorstep
Singin' sweet songs
Of melodies pure and true,
Sayin', ("This is my message to you-ou-ou:")

Singin': "Don't worry 'bout a thing,
'Cause every little thing gonna be all right."
Singin': "Don't worry (don't worry) 'bout a thing,
'Cause every little thing gonna be all right!"

Rise up this mornin',
Smiled with the risin' sun,
Three little birds
Pitch by my doorstep
Singin' sweet songs
Of melodies pure and true,
Sayin', "This is my message to you-ou-ou:"

Singin': "Don't worry about a thing, worry about a thing, oh!
Every little thing gonna be all right. Don't worry!"
Singin': "Don't worry about a thing" - I won't worry!
"'Cause every little thing gonna be all right."

Singin': "Don't worry about a thing,
'Cause every little thing gonna be all right" - I won't worry!
Singin': "Don't worry about a thing,
'Cause every little thing gonna be all right."
Singin': "Don't worry about a thing, oh no!
'Cause every little thing gonna be all right!

Bob Marley/Three Little Birds

 それにもかかわらず、主よ、もっともすぐれた者、宇宙の創造主と支配者であられるあなたに、わたしたちの神に感謝を、たとえあなたが少年時代のみを私に与えたとしても捧げよう。わたしは、その時代においても、存在し、生活し、感覚していた。またわたしが、生れてきたあのもっとも神秘的な統一のあとである私の存在を、そこなわないように心がけた。わたしは内部の感覚によって、わたしの感覚の安全を守り、つまらぬことがらに関するささやかな反省によって、真理を楽しんだ。わたしはだまされることを欲せず、記憶力は旺盛で、弁舌もさわやかで、友情を楽しみ、苦痛、卑賤、無知をさけた。このような生活をしているものに、何か驚嘆し、賞賛するものが認められるであろうか。しかしこれらはみな、わたしの神の賜物であって、わたしが自分に与えたものではない。これらは善であり、そのすべてがわたしである。わたしは少年時代に恵まれていたすべての善のために、賛美の叫び声をあげよう。わたしは罪をおかしていた。わたしは、かれ自身のうちではなく、かれの創造のうちに、わたしと他の諸物とのうちに、快楽と崇高と真理を求め、苦痛と混乱と誤謬におちいった。わたしの歓喜、わたしの名誉、わたしの信頼である私の神よ、わたしはあなたの賜物について、あなたに感謝する。しかし、あなたはそれらの賜物をわたしのために保持してください。そうしてこそ、あなたはわたしを保持されるであろう。また、あなたがわたしに与えられたものを増大して完全になり、わたし自身もあなたとともに存在するであろう。わたしが存在するということもあなたの賜物である。

◇聖アウグスティヌス『告白』(岩波文庫