旅には道連れ/批評の雑誌/ジャンベ映画/アーミッシュ/ふたりのともこさん/絵と音楽と写真と小説/泥のように眠る

 日曜日。翌日に大阪で用事があり、前乗りして一日遊ぶことにした。朝早く出て、普通列車でまずは和歌山まで。電車のなかで素敵な女性を見つけて、
 「旅の道連れ。」
 と心のなかで思うことにする。わりとよくやる遊びで、ぼくにとっては電車のなかでは、女の子はみなかわいく見えるのかもしれない。
 ぼくとは通路を隔てて窓際どうしの彼女は席に着くなり眠って、ぼくも駅の売店で買ったおにぎりとサンドイッチを食べて音楽を聴きながら寝る。もう二度と彼女を見かけることはないだろう。でもそれは悲しいことじゃなくて(あたり前だけど)、だからこういうことするの、好きなんだと思う。
 和歌山市までずっと寝ていて、起きたらもう電車は止まっていて誰もいない。快速に乗り換えて大阪へ。

車窓から。

 大阪駅に着いてすぐ、梅田のマルビルのタワーレコードへ。盟友の(とぼくが勝手に思ってる)友人が参画している批評の同人誌「アラザル」を購入。プロのライターでもある友人の書いているのは新進気鋭の(らしい)美術作家を取上げた、本格的な現代美術批評。読んでみないとわからないけど、「わー。すげーっ。」というのがタイトルと字面を眺めてみての第一印象。ピロウズのインタビュー本「Pillows Cast」をみかけたがそれはあきらめて、駅をはさんで反対側のスカイビルへ。
 梅田ガーデンシネマでアフリカンドラム=ジャンベが大きく取り上げられているアメリカ映画「扉をたたく人」。他にも「エヴァ新劇場版(破)」「レスラー」など、観たい映画はいくつかあったが、上映時間と場所の兼ね合いで、これになった。でも大正解。素晴らしい映画だった。音楽の素晴らしさ。9.11以降の世界の狭量さ。現実そのもののやるせないアメリカのダウンタウンの街なみ。主人公のリチャード・ジェンキンスの表情! ジャンベが鳴らすリズム。フェラ・クティが鳴り響くひととき。素晴らしいが、ここで通り魔的に語ることじゃない。どこかでちゃんと考えてみたい。隣のスクリーンでは「ディア・ドクター」をやっていて、「ゆれる」を見てそのときはいいと思っていたのに、いまは全然西川美和に関心がないことに気づく。立ち見が出るほど盛況のようだった。「扉をたたく人」もかなり入っていた。

「扉をたたく人」チラシ。大学教授・ウォルターことR.ジェンキンス(手前)、この表情!

 映画が終わるとすぐに、新快速で京都へ。今回の旅は京都でふたりの友人に会うことが主目的。でもその前に、どうしても行きたかった、アーミッシュについての展示を観に行く(思文閣美術館「PLAIN PEOPLE アーミッシュの生き方」展)。アーミッシュキリスト教の異端とされる再洗礼派のひとつで、電気を使わない前近代的生活様式を守りコミュニティで暮らすドイツ系アメリカ人。その歴史、宗教、暮らしぶり、教育などが、写真や書籍、衣服や雑貨、おもちゃ、人形など、さまざまな展示で紹介されている。
 アーミッシュのことは以前から知ってはいたのだが、少し前に新聞である事件のことを知ったのが展覧会に行こうと思った直接のきっかけだった。2006年、アーミッシュの学校で非アーミッシュのひとりの男性による無差別殺人が起こる。たくさんのこどもたちを殺されたコミュニティのアーミッシュたちはしかし、犯行後自殺した犯人を赦し、犯人の家族とともに、命を失った哀しみをわかちあった……というのがその事件で、その記事で今回の展示のことを知って、記事を読んだちょうどその日に、別の個人的なことで「死」について気にかかったことがあって、観てみたいと思ったわけだった。
 色々と考えることはあったがこれもすぐにはまとまらなくて、とりあえず気づいたこと、これを見てはじめて知ったことなどを覚え書きとして。

アーミッシュの食事は高カロリー、高たんぱくであるため(オールドファッションなアメリカ家庭料理みたい)、高血圧・糖尿病などの成人病になる人が多い。そのため、栄養の偏りを気にしてサプリメントを摂取する人もいる。
・家庭には電気は引かれていないが、農業などには風力発電を利用することもある。
・洋服は自分たちで仕立てたものを着る。下はベルトではなく吊りズボン(サスペンダー)、上着はボタンではなくフックで、というような特徴がある。
・いっぽうで靴はコミュニティの外で市販のものを買う(昔からあるシンプルなスタイルのものを選ぶ)。アーミッシュ靴屋はない。
アーミッシュには葬儀屋がないので、死体の防腐処理は非アーミッシュの業者に依頼する。葬儀は丁重に行い(死者は神へ「返す」)、埋葬は共同墓地へ。
・教育はアーミッシュ独自の8年制の初等教育(?)のみ。アメリカの法律上の教育制度と異なるため、かつては裁判沙汰になったこともある。いまは最高裁によりアーミッシュ独自の教育を認められている。テキストとしては、古いアメリカの市販の教科書の版権を買い取ったものや、アーミッシュ独自のテキストを用いる。アーミッシュの教科書会社がいくつかある。
アーミッシュの購読する雑誌には、「人生相談」コーナーがある。
・人生相談の一。アーミッシュは再洗礼派であり、成人として洗礼を受けてアーミッシュとして生きるか、コミュニティを出て非アーミッシュとして生きるのかを選択できるのだが、洗礼を受けず、出ていった子どもたちへの思いをつづった相談。コミュニティを出ても一応里帰りはできるらしく、もし帰ってきたときにアーミッシュには許されない文物を持ち帰ってきたとき、どういう対応をしたらいいのか? 回答は、できるだけ相手にしないこと。
・相談の一。夫が愛してくれない(夜の営み)。回答がいくつか。回答の一。あなたがいま以上に神を愛し、夫を愛するなら、その愛が夫に届くはずだ。回答の一。わたしたちは神を信じ、神に服従するものであり、父なる神に服従を誓うということはすなわち、家父長である夫にも絶対服従しなければならない。

 うろ覚えで間違っているところもあるかも知れない。ただ、今挙げたようなことは、もしテレビなどのマスメディアでアーミッシュが取り上げられたとしても、語られない部分ではないか。たぶんテレビなら、Nスペや深夜枠といった生硬なドキュメンタリーでない限り、「ロハス」みたいな切り口しかないと思う。

アラザル」とアーミッシュ展のチラシ。

 神妙な、しかし穏やかな気持ちで外に出るとものすごい大雨で、ちょっとパニックになる。待ち合わせは30分後で、電車でちょうどそれくらいかかるはずだ。どうしよう。10分ほど右往左往したあと、なんとかタクシーを拾って、丸太町は御所の近くの「ザ・パレスサイドホテル」へ。ここのロビーで友人のいちかわともこさんの個展が開かれている。彼女の絵をじかに見るのは、6年ぶりくらい。ぱっと見、描かれているモチーフや手法なんかは、変わらないようにも見えるけど、今回のものはとても奥行きのある絵になっているような印象を受ける。「奥行き」なんて適当な言葉づかいをしてはいけないと思うけど、ここではそれだけしか書けない。2、30分ほど絵を眺めたり、フロントでポストカードを買ったりしていたら、いちかわさんが到着。いちかわさんと一緒にもう一度絵を見たあと、ホテルのカフェでこれも6年ぶりに話す。いちかわさんは変わらず素敵な人だ。ぼくの妻とおなじで小さくて華奢な外見だけれど、すごく熱くてピースフルな人。でも光と影を知っている人というか。ぼくはまたしても、じぶんの好きな小説や書きたいことについてずっと喋ってしまう。作品集「夜明けまで」を買ってくれました。感謝。

いちかわともこさんのポストカード。

 彼女が帰ったあともしばらくホテルのカフェに残って、もうひとりの友人を待つ。そういえば待っている友人も「ともこ」さんだ。待っているあいだに「アラザル」の友人の美術批評を読み終わる。美術プロパーの用語がふんだんに使われた正統派な批評で、ジャンル・クロスオーヴァーな自由な批評を目指しているのが「アラザル」という雑誌らしいのだが(表紙には「セカンド・クリティーク・オブ・ラヴ!」とか書かれているし)、そのなかで友人の書いたものが見た目にはしごくまっとうな批評文であるところが、友人らしくていいと思った。ただ、一度では意味を追っかけるので精一杯で(だいたいぼくは美術用語なんか「聞いたことある」「なんとなく知っている」だけで、その意味を理解するのでいっぱいいっぱいなのだ)、何回か読まなきゃちゃんと読めないだろうな、と思う。
 もうひとりのともこさんもいちかわさんの絵を見たいと言ってくれていたのだが、この大雨で断念することにして、新風館で待ち合わせて食事。実は彼女は作品集『夜明けまで』のデザインを手がけてくれた人で、ここでも映画や音楽、小説の話をずっと。でもまつ毛エクステのこと、KISS(バンドの)ふうのロゴで「KIDS」と書かれた彼女がしていたネックレスのこと、レーシック手術のこと、ミクシイのこと、ツイッターのこと、他にも忘れたけどどんなにバカな話でも、何を話しても面白くて気分がよくて、そういう人のことを「好きな人」というのだろうと思った。そんな女性が友人にいてよかった、とつくづく思う。翌日仕事だという彼女と京都駅で別れて、大阪のホテルまで帰るともう0時。倒れるように眠る。