ミスター・TVプロデューサー

 昨日からニュースZEROで「ありままの公立中学」という、公立中学校を一年間長期密着したというドキュメントをやっていて面白い。
 カメラが入っているわけだから「ありのまま」なわけはないが、公立校でこういう取材をさせるのは色々な意味でおそらく大変なことで、取材を受け入れた校長の判断はとてもラディカルなのだろうが、その教育方針はきわめてオーソドックスというかオールドスクールで(毎朝校門で声をかける、授業中の教室を巡回して居眠りしている生徒を「気合い入れんか」と起こして回る、など)、生徒たちの真面目な部分も、ふざけ方も、無軌道さも、みんなきわめてまっとうで、カメラが回っているということを前提にしても、教育の危機が叫ばれて久しいけれど、いまの学校って意外にまともだと感じた(もちろん当事者はたいへんだと思うけれど。それくらいは中学生だった自分を思い出せばわかる。今社会人として職場で感じる諸々を鑑に考えてみてもわかる)。この一例で予断するわけにはいかないのだろうけれど。
 でももっといえば、中学生の自分はもっと型にはまっていて、親や教師に反抗はしても、学校には毎朝始業通りに行ったし(遅刻ギリギリだったけど)、授業では居眠りしても怒られるのが嫌だから眠気に抗っていたし、無断で席を立つことも学校を抜け出すことも全然しなかった。そしてクラスメイトたちも、今の生徒たち――そのサンプルはぼくにとっては、たぶん公立中学としては「まとも」な方であろう今日のテレビの取材先の学校の生徒だけだが――よりもずっとマジメだった。ヤンキーや不良もけっこういたけど、今にして思えば「マジメなヤンキー」だった(そういえば、この取材先の学校には「見るからに不良」という生徒が出てこない)。ぼくの通った学校がそうだっただけかもしれないが。ぼくの感覚では「レールを外れる」ことよりも「レールに乗っかる」ことの方がずっと楽で、世の中のほとんどの人間は程度の差こそあれレールに乗っかってるんだと思うが、いまの(今日のテレビで見た)生徒たちは、なんだか簡単にレールから外れているようにも感じた。レールがラフになっているとでもいうのか。その意味で、生徒も教師たちも「まとも」を演じている「ごっこ」のようにも見えてくるのだった……。
 ニュース番組の感想なんて柄にもないことを書いてしまった。なんか散漫な見解だし。かぎ括弧()の文章が妙に多いし。
 それにしてもいまだに「起立」「気をつけ」「礼」なんてやっているのにびっくりした……。