「可愛きものよ、汝の名は達磨なり」と彼女は言った

 デジタルメモ帳「ポメラ」を買っていらい、めっきりパソコンを開く回数が減ったのと、ここ数日の風邪ひきで、ぜんぜん日記を書いていないのだけど、書かないでいると書くことがなくなってくるというか、何を書いていたのかわからなくなっている。
「あの人」に伝えたいことはたくさんあって、「あの人」は身近な友人だったり、尊敬する先輩だったり、私淑する芸術家だったり、もちろん妻だったりして、でも誰でもいいというのではなくて、今挙げたぼくにとっての「あの人」色々が含まれるというかそのなかの誰かだったり全部だったりする。
 最近読んでいた本は、『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦、角川文庫)。そんな分類にあんまり意味はないことはよくわかっているけれど(でも「あんまり」であって、あることはある)、エンタメ系の小説を読むことはあまりなくて、この同世代の作家が本読みのあいだでたいへんな人気であることは知っていたけれど、「あの人」(ここは特定の「あの人」)との話題で出てこなければ読むことはなかったと思う。
 著者と同じく京大生であるらしい「先輩」が、思いを寄せる「黒髪の乙女」を追い求めるなかで遭遇するさまざまな出来事が、ファンタジーを織り交ぜつつ描かれる話で、表紙に中村佑介の流麗なイラストレーションで描かれてはいるものの、小説であるがゆえにヴィジュアルで描かれることのない「黒髪の乙女」が、とてもかわいい(というか、「とてもかわいい」女の子として思い描くことができる)。そして彼女はまた、これ以上ないくらい「白魔術師」*1でもあって。以下引用。

 そうしているうちに東堂さんの手が私の胸の界隈へ滑り込んだことに気がつきました。彼は私を揺さぶりながら私のお乳をも揺さぶっているらしいのです。東堂さんは心の清い人ですから、公衆の面前で破廉恥な振るまいに及ぶわけがありません。おそらく私を励まそうと腕を回した際に、酔いも手伝って見当が狂ってしまったのでしょう。(23ページ)

 彼女の形をとって古本市に降り立った薔薇色の未来が遠ざかる。
彼女は文庫本を手にして無闇に熱心に読んでいる。本を読んでいる姿が魅力的なのは、その本に惚れ込んでいるからに違いない。恋する乙女は美しいという。しかし薄汚い古本が彼女をたぶらかして、いったいどうするつもりであろう。古紙のくせに、と私は憤った。
 彼女の後頭部が焼け焦げそうな熱視線を放ち、私は心の中で呼びかけた。
 そんなやつを読む暇があったら、むしろ私を読みたまえ。なかなかオモシロイことが色々書いてあるよ。(82ー83ページ)

「ねえ君、ただ神の束にインクの染みがついているだけのものを、わざわざ高い金を出して買ってく人がいるんだよ」と彼は感心したように言いました。「まことに本というのはありがたいものだなあ」(86ページ)

私は慌てて手を合わせ、「なむなむ!」とお祈りしました。これは、私が独自に開発した万能のお祈りで、絵本を読んでいた幼い頃から愛用しているのです。(92ページ)

薄汚い青春の最中に立ちすくむ大学生が、じつは世界で一番清らかであるという真実はつねに無視される。(113ページ)

 なんと美しく、いじらしいお話でしょうか。私は恋とは無縁に生きてきた女ですから、彼女が胸に秘めた苦しみを分かち合うことはできませんが、それでも私が同じように恋をしたら、きっと象のお尻を一心不乱に作るに違いありません。そうなのです。その男性のことを考えながら創作に打ち込む彼女の姿を思い浮かべた私は、危うく落涙しそうになりました。(192ページ)

 しかしこの本も、風邪をひいてから、三分の一ほどを残して全然読めない(本のページを繰るのもままならない)。そもそもぼくは本を読むのが恐ろしく遅い。というか、この本についてだけ書くつもりはなかったのだけど、もう力が尽きました。ポメラで書いた初日記。

*1:白魔術師=どんなネガティヴな事象もポジティヴに変えてくれる天使みたいな人。おもに女性。tkfmsの個人的用法