ディシプリンと記憶の「際」

 ぼくが大学で通った学部は「国際文化学部」という。このテの学部は、「学際」の名のもとに一世を風靡(?)したけれど、内実はからっぽだった。わが学部による、「国際文化学」の英訳は「cross cultual studies」で、言いたいことはわからないではないけれど、それがなぜ「国際文化学」なのかはよくわからない。
 なんでも「学際」と言えばなんかかっこいいように感じられた時代があったということらしい。学際とはディシプリン(学問領域)の際(きわ)のことだ、というのは後から知って、大学ではほとんど何も勉強しなかったけれど、今に至るも興味のあることは「際」ばかりだから、たぶん消去法で選択した学部も自分の嗜好に適っていたということだろう(勉強はしなかったが)。
 知り合いの人の息子さんがぼくの母校の医学部に進学が決まったらしく、下宿先をどうするかで相談の電話があった。
 ぼくは訳知り顔で、
「医学部はキャンパスが違うので、一回生のときは教養の授業があるので他の学部と同じキャンパスに通いますけど、上級生になれば医学部キャンパスだけになるんで、どちらにしても引っ越しされることになりますよ。」
「私は結局寮には入らなかったんですけど、知らない土地に住むのだから、周りに仲間がいた方が、最初は良かったかな、って今振り返れば思います。」
「やっぱり最寄りの××駅なら、歩いて通うこともできますし、始めはそこがいいかも知れないですね。私は四年間、そこに住んでました。」
 なんてアドバイスしていたが、相手はぼくがその最寄り駅に住んでいながら、全然大学に行かなかったことは知らない。本当は五年通ったことも。
 ぼくはふだんの言葉づかいでは「私」とは言わないのだけれど、ぼくより少しだけ年長の上司が使うのを聞いていて、20代から30代の前半くらいの男性が「私」なんて言うのはかえって軽薄というかプラスティックな感じがしていいなぁと思って、それいらい仕事ではできるだけ「私」と言うようにしている。
 電話口の「私」は、知ったふうな口ぶりでさも有益そうなアドバイスを送っている。電話の向こうの知人(「私」の父親くらいの年齢だ)も、
「そうですよねぇ。まぁ一度、学生課で相談してみます。」
 なんて「私」の話を額面通り聞いてくれている。
 言葉はいくらでも口をついて出て、たまたまパソコンを開いていたから、
「今乗り換え調べてみたんですけど、教養の授業がある○○駅から、医学部の××駅まで、20分ですから、Door to Doorでも40〜50分ってところじゃないですかね?」
 なんてことも言う(ぼくは学校には全然行っていない。だからリアル・ライフでは、「バイト先まで原付で15分でしたね」ということになる)。
 一番記憶に残っている授業は、四回生の夏に受けた「アイルランド文化集中講義」だ。講義はものすごくつまらなかったけど、ジョイスの『ダブリン市民』や『若い芸術家の肖像』をあまりよくわからないまま貪り読んだり、映画『アヴァロン』で「アーサー王伝説」にかぶれていたりしたぼくには、ジョイスベケット、イェーツといった名前が並ぶテキストを眺めているだけで面白かった。訥々としゃべる初老の講師は、「散歩していると」の意味で、「歩ってると」という言い方をした。極めて抑揚に乏しい、眠たくなる話しぶりの授業だった。行ったことはないけれど、泥炭に覆われたアイルランドの風土に魅せられると、人はこのようなキャラクターになるのだろうかと思った。最終日のレポートにも『アヴァロン』のことを書いた。あの学部では(あるいはぼくが選んでいた授業では)、とにかくレポートさえ書けば、単位を落とすことはなかった。集中講義とは数日間に渡って一日中その講義だけを受けるもので、休み時間には同じ講義を取っている者同士でおしゃべりなどして過ごすことになる。たぶんもう二度と会うことのないだろう、わりときれいな女の子と、あと一人誰か男、三人でしゃべっていた記憶が残っている。集中講義があるのは学期の終わりだから、前期の後半、七月下旬の晴れた日で、ぼくは就職も決まっていなかった(あと一年半決まらなかった。就職した会社はすぐに辞めた)。
 聡明なあの女の子は、たぶんクリアーな人生を歩んでいると思う。もう一人の男は、たぶんぼくの結婚式にも来てくれた誰かだろう。すごくおぼろげだけれど、そのことを思い出したから、今日の日記は書いてよかったと思う。