今日の気分で明日が決まるのなら

 せっかくだからざっくりとでも今年を振り返るということで、こういうブログで広く行われているであろう、様々なジャンルのこの一年のベスト・オブ・ベストのようなものを自分も考えようかと少し前まで思っていたのだが、全然それをする気が起らないのは、本にしても音楽にしても今年はそれほど読んだり聴いたりしていないということ以上に、ここ何日かの気分の停滞ということだと思う。
 身体の不調をいつも訴えている人と同じで気分の停滞をいつも訴えている人というのも鬱陶しいが、気分が停滞しているときには、「くさくさしててさ。」なんて言いたくなるもので、そういうふうに人に言える時点ではたぶん大丈夫だ、ということを飯島愛についての朝のテレビのテリー伊藤の発言を聞いていて思っていた。
 人が色々なものを教えてくれたり、人が色々なものに取り組んでいるのを見ると、自分も新しい何かに取り組んでみたりしたくなるものだが、100考えたうちの2か3しかやらない、という自分の性癖は代え難くて、それでも日常的に続けていることさえも、そういうことにかまけてやらなくなっていることが、気分の停滞に繋がるのか、ということも考えてみる。
 このところ日常として定着しているのは、この日記を除けば風呂の壁に新聞を貼って読むことくらいで、1ヵ月ほどまえに読売から朝日に代えたことで、今年読んだ文章のベスト・オブ・ベストと言えそうな宇野邦一のエッセイ「やさしい顔の「鬼」たち」を読めたし、先日は文化面の特集で妻の好きな種村季弘が、「種村季弘は終わらない」と題して取り上げられていて、そのなかで坪内祐三が傑作として挙げていたのが、ぼくが唯一持っている種村季弘の本『書物漫遊記』だったために、今それを読み始めたりと、こんななんでもない日課でも、日常を潤すことになっているのだろうが、やっぱり自分の日常としては、もっともっと本を読んでいたいのだろう。
 というわけで年末、年始に読みたいのは、

 ということにして、手許に読めてなくて、読んでおきたい本はもっとたくさんあるのだが、これ以上手を広げないでおこうと思う。去年同じようにして挙げた本も、ちょっとしか読めなかったのだから。