映画のことと世界のこと

 友人と色々話していて、
「Sくん(僕のこと)、映画を撮ったらいいんじゃない?」
 と言われたのだけれど、ぼくには映像の才能は全くない。
 大学で映画の制作をする映画研究部にいたのだが、5年間(5年通いました)で撮った映画は1本きりでしかも5分程度のもの。周りに二人も映画の才能のある人間がいたのもあるが、撮りたくもならなかったし撮れそうもなかった。
 映画は好きだけどシネフィル、というほどは観ていないし、「大学時代映画部」というのもおこがましいほど観ていない。
 でも映画は好きで、それもどちらかというと映画館で観るのが好きなのだけれど、映画館の椅子で2時間座っているのが辛くて、落ち着きなく体位を変えるので、一緒に行った人に「つまらなさそうにしていた」と思われてしまう。
 それで最近も、映画館や劇場で『トウキョウ・ソナタ』、『西の魔女が死んだ』を観た。
 どちらもほとんど夢中で観たのだが、ときどきやっぱりしんどくて、目をつぶって下を向いたりもしたのだけれど、そうしてみて気づいたことがひとつ。
「映画の半分は音だ」ということで、ということはつまり、世界の5分の1(6分の1?)は音だ、ということでもあって、ということは映画には世界の5分の2(6分の2?)しかないのか、ということは小説には世界の5分の1(6分の1?)しかないのか、などと言葉というか思考の操作の上では考えられるがやっぱり映画にも小説にも世界が全部ある。
 全部。
 素晴らしい映画を観るとそれをはっきりと実感する。