親愛なる「小鳥」のS氏と「コンセント」のSさんへの私信――あるいは、雲の上まで

 「これは1ディーム硬貨だ。
 パンなら一斤、油なら一本分の価値がある……。
 だが、ゴゼの追いはぎはこれひとつのために人を殺す」
 何度か書き直してこんな書き出しもどうかと思うけど、これは僕がもっとも好きな映画のひとつであるアニメーション『王立宇宙軍』の序盤に出てくるセリフで、人類初の有人宇宙飛行を目指す「王立宇宙軍」を持つ架空の国、「オネアミス王国」の硬貨は細長い棒状をしている!
 神ならぬ人間が世界のすべてを捉えることは不可能だというのに、人間の手で描かれなければ立ち上がらないアニメーションであり、そしてファンタジー、架空世界を描いた作品でありながらここには「現実のザラついた手触り」がある、と僕には感じられるのです。
 Sさん(以下、紛らわしいけど小鳥S氏をS、コンセントSさんをSさんとします)、あなたが初めて「心を揺さぶられた」作品として挙げた作品の前に立った16歳のとき、「作家はもう死んでいるのに、息づかいが聴こえてくるようなその絵に、ただ立っているので精一杯」だったと言っていましたね。
 僕はそれくらいビリビリした、戦慄という言葉が似合うような体験をしたことがあるかどうかは心許ないのだけど、僕が文章表現を通していつか達成してみたいと思うのはそういうもので、「だれもいない空間で、その絵をみたとき、胸が押しつぶされるようになって、涙がとまらなくなった」ともあなたは言いましたが、誰かの人生を遠い高みから照らし、世界に輝きを与えるのはそういう作品で、「共感」とか「感情移入」なんかでは決してない。あなたが今取り組んでいることについて、言葉がまとまらないと言いながら書いてくれたことは、たぶん簡単に人が「理解」してくれることではないはずで、だからこそそれを僕に教えてくれたことが嬉しかった。いや、「まとまりのない」と言いながらどこまでも真っすぐでクリアなあなたの言葉に、背筋が伸びるようでもあり、率直にいって自分が小さく感じられるくらいでした。
 友なるS(あなたがよくステージで唄う賛美歌みたいですね、あれはイエスだけど)、Sが始めた話、「好きなもの」に対する深度、ということについて考えていたら、こんなことを書き始めてしまいました。
 そして昨日あなたに会ったとき、「僕としては答えは用意できている」と言ってそのつもりで書き始めたのだけど、その正しさを信じていたとしても時として正論は空疎に響くもので、迂回するようなこうした書き方を選びました。できるだけノイズを入れて、世界の複雑さに目をつぶらずに世界に立ち向かうこと。僕が勝手に作ったあなたが歌うバンドのフリーペーパーにも書いたように、朝まで続くおしゃべりにも似た、「言い足りなさ」に満ちたあなたたちの音楽に、僕は世界のざわめきを聴いています。
 「好きなもの」に対する深度についてのあなたの言葉、「その時々で形を変えるもので、簡単には言えないし、今うまく文章にできるほど、つかまえられていない」。
 うまくつかまえられないことのうまくつかまえられなさを、そのうまくつかまえられなさを維持したまま、つかまえようと努力すること、そんな無謀な営みが何かを作り続けることだろう、今僕が言えるのはそれくらいですが、それを一つひとつ作り続け、僕(や、あなたの音楽をウェブで知ったSさん)も含めた誰かの心を響かせているあなたたちの音楽に、こうしたものを書きながら、まだ見ぬ、僕の「書くべきもの」を産み落とせていない僕は、少し嫉妬しているみたいです。でもそれは少し心地いい。だからこそ、生きている価値があるとでもいうのか。
 このところ僕の心に立ち上がる「世界を遠くから照らす光」というイメージ。まだ見ぬその光を追いかけるというのが、すごくかっこつけて詩的にいうと、僕の使命感なのですが、一週間前にあの山の向こうに響いた僕たちの偉大なる先達の歌のように、
 国境をとびこえて、
 あこがれの場所に、
 みんなで、
 いつかいきたい、と僕は思っています。
 二人の言葉を勝手にここに使ってしまったこと、どうかお許しください。
 それではまた。