はじめて考えるときのように

 その日のBGMは帰ってきてからずっと、ピロウズの「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」。パラパラと本をめくっていて、

「考える」というのはつねに「何かについて考える」ということで、「何か」という対象を持たない考えはない。これはあたり前のことなのだが、対象は自分の関心や当座の必要性と直接交わらないことがほとんどだから、たいていの人は対象を抜きにして純粋な「考え」だけを知りたいと、虫のいいことを考える。しかしそれは不可能なのだ。

 というくだりが目に入ってはっとした。
 自分には何も書くことがない、ということをずっと思っていたが、「何も書くことがない」という考え方そのものが間違っていたのではないか、ということになる。具体的な何か、について考えること、それが何ものかなのだ、ということで、渋谷の「大戸屋」で僕の向かいに座る妻の後ろのテーブル席の四人組、揃いのTシャツを着た「ギャルサー」ふうの女子たちは、正直に言って不愉快だった。
「これ、ちゃんと“大盛り”にしてくれました?」
「あ、はい」
「そう。ありがとねー」
 などという店員とのやりとりからして不遜だったが、お昼どきで混雑した店内であり、向かいの妻のさらに後ろの席ということもあり、周囲を省みない調子っぱずれのヴォリュームで話す彼女たちの会話はしかし、断片的にしか聞こえてこない。
 けれど僕は眼はいい。最近少し悪くなってきたとはいえ、両眼とも1.0はある。
 だから目の前の「陸奥湾産ホタテのせいろご飯と野菜と鶏の揚げ煮」を口に入れながら(食事が運ばれてきたとき、妻はいつものように食前のトイレに立っていた)、彼女たちの様子をずっと眺めていたのだが、そのあいだずっと、彼女たちはそれぞれの携帯を開き、そこにいない誰それからのメールを順番に読み上げながら、その文面とその人について、さまざまな批評を加えているようだった。そしてそのほとんどはその場にいないその人に対して厳しいものであり、
「こんなことするヤツの仲間だって思われるのイヤだよね」
 聞こえてきたそんな言葉に、
「お前だよ」
 と突っ込みたくもなっていたが、平日の渋谷のお昼どきにリーズナブルな定食屋である「大戸屋」に入ってきた僕が悪いのだ。
 いつかテレビで見た、「自分の身に起こったことは、すべて自分のせいなのだ、と思うことで気持ちが楽になった」というある人の言葉を知って以来、それを座右に置いて暮らしてきた自分は、この状況を甘んじて受け入れなければならない。
 戻ってきた妻は黙々と、すでに配膳されていた「鶏と野菜の黒酢あん定食」を食べていた。僕たち二人は、外食の際はお互いあまり喋らないことが多く、このときも僕は黙ってそういうことを考えていたのだが、その言葉を言った人はすでにこの世にはいない。というか、そのテレビを観たときにはすでに亡くなっていたのだ。
 だがこうしてそのときの状況を思い返して記述している自分は、そのとき不愉快なだけだったギャルサーの女の子たちに対して、軽い「親しみ」のような感覚を抱いているようだ。
「記憶」というのはフィクションでは今の自分を縛るトラウマとして語られることが多いが、実際には、ほとんど全ての人が記憶していることは、その人の今、そして未来にとって有益なことだ、ということを僕は何人かの書いたものとこれまでの30年で学んできたが、特定の記憶は単独の事柄として記憶されているわけではない。
 つまり「不愉快なギャルサーたち」の記憶は、「2年ぶりに訪れた東京」という記憶とともにあるし、渋谷という街は、その前日に3年ぶりに会った「人生の師」とも言える僕の前の職場の社長が今も働いている場所でもあり、彼女たちをを思い出すことは、そういう諸々を引き連れることになるわけで、「不愉快なギャルサー」の記憶は自分の大切な思い出のノイズとも言えるのだろうが、そのことを僕は必ずしも不愉快なこととは思ってはいない。