旅日記が書けなくて

時間からはみ出した時間の経験のなかにしか絵画は存在しない。絵画は、時間を作品内部に構造化することが出来ないことによって、時間の外にある潜在的な塊として、まるで記憶そのものと同じようなあり方で存在することができる。
(古谷利裕『世界へと滲み出す脳』161ページ)

 先週1週間まるごと休みで「そうだ、旅行に行こう。そうだ、絶対行こう」というわけで新潟、東京と行ってきて、帰ってきたらそれについて詳しく書こうと書こうと思っているうちに火曜の夜で結局書けなかった。
 一応アートをめぐる旅だったのだけど、慣れない山道を車や徒歩で歩き回ったり、重い荷物を引いて歩き回っているうちにひどい腰痛になって帰ってくることになって(30になったとたんにおっさんみたいだ)、ジェームス・タレルの光の館、マリーナ・アブラモビッチの夢の家、志賀卯助の蝶の標本、映画「スカイ・クロラ」、国立博物館の国宝「平治物語絵巻」、写楽北斎、長次郎の楽茶碗、「君の身体を変換してみよ」展、庭園美術館の船越桂、とか何とか、たくさん見たはずなのだが、何を見たか、何を感じたか今になってみるとよくわからない。
 東京の本屋でとあるトークショーを見て(聴いて)、その主役の本がこの『世界へと滲み出す脳』なのだが、ひどい腰の痛みを抱えながらの帰り道、新幹線〜在来線特急と乗り継ぐ夜の電車のなかで、眠たい目をこすりながら読んでいて、今日もまだ読んでいる。
 そうそう、新潟で志賀卯助という昆虫博士(?)を初めて知って、渋谷で取ったホテルのそばの歩道橋から、偶然青山通りの「志賀昆虫普及社」の看板をみつけた瞬間。そのときは旅のさなかの唯一妻と別行動の時間で、都会の夜のど真ん中でひとりで気分の高揚して。今回それがいちばん記憶に残ったかもしれない。