ターニー氏への返事の代わりに(ローファイで)

 「Helpless」を観直してまず思ったのは意外と「あっさり観ていられた」ということ。何年か前の「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」を劇場で観たあと一晩中こめかみの辺りが痛くてつらかったので青山真治の映画は脳では好きでも身体が受け付けない、と思って最近は敬遠していて、「Helpless」も後半の喫茶店での突発的な暴力シーン、というのがストーリーは忘れていても頭にあって、「後味の悪い映画だった」という記憶のせいで見返していなかった。それがために「サッド・ヴァケイション」も敬遠していたのだけど、最近ネット上で聴いたジョニー・サンダースの「サッド・ヴァケイション」があまりにもよくてなんとなく観たくなってきたというわけだった。

 ノートPCの小さな画面で、しかも所々早送りしたりしながら観るという、ちゃんと咀嚼しているわけでないというよりどちらかというといい加減な観方だけど、シリアスな映画だから真剣に背筋を伸ばして観なければいけないかというとそういうわけでもないだろう。とにかくあまり頭のなかでかみくだかないようにリラックスして観てみるとわりと感じよく観れて、頭が痛くなることもなかった。10年前に観たときより自分が色々なものを観てきたことによってある程度の刺激では揺らがない、とかいうことではなく、もっと単純に「観るときのかまえ方」だろう。

 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」のときは観終わって「素晴らしいものを観た!」と思ったわりにそのあとの一日はこめかみの痛みでずっと気分が悪く、ぼんやりと観ていたこのあいだの日曜日の方が「いい一日」だった。高校の頃に友人がノイズバンドをやっていた関係(影響)で僕もそういうものをいくつか聴いて(聴かされて)、映画を観ながら「こういうのは慣れてるよ」と思ったのだが事実としてはその後頭が痛くなったのだから――観る人に頭痛を引き起こすことが映画の目的ではないはずで――映画の良し悪しというより僕の観方が悪かったというもので、フマジメな観方でもそれを観たことで色々なことを考えることができたらとしたらそれはちゃんとした映画の観方のひとつだと思った。

 高校生の頃といえば当時「ローファイ」と言われたバンドやアーティストが好きで、ベックとかフレイミング・リップスとかダニエル・ジョンストンとかゴッド・イズ・マイ・コ・パイロットとかダブ・ナルコティック・サウンド・システムとかよく聴いていて、その後の自己分析(?)で、「当時はめっぽう音の悪いラジカセで音楽を聴いていたから、そういうもともとペラペラ、スカスカの音の方がよかったんだ」と思っていたのだが、それではハードコアやテクノも聴いていたことは説明できない。それはともかく、今こういうふうに「Helpless」が観れるとしたら、「ローファイ」の音楽は10代の頭でっかちの自分より、意外と今の方が合っているのではないか、とも思った。

 前々日のエントリーのターニー氏のコメントへの返事の代わりに。