#5

「ほら、あれ、ジョンビーだよ」
「ジョンビーって5人もいるんだ? ジョンビー、ジョン子、キッズジョンビーが3人。
 ビール売りの女子の方がかわいいよね。ジュースのコはちょっとぶさい」

 深夜の道を歩いていると、無意味な記憶が想起されて恋人と野球を見に行ったときの会話が頭のなかにいくつも沸いてくる。妙に頭の冴えた朝などに、無意味な文章が頭に浮かぶことがよくある。その感じ、その感じを人に上手く説明するにはどうしたらいいだろう。しかしそれよりも今は野球だった。

「あの清原がやってるみたいなだぼだぼのズボン履くのカッコ悪いね」
「ほら、レフトの清水もそうだよ」
「レフトってどこ?」
「あのエビスビールのコがいちばんかわいいね」

 自転車のカギを忘れたわけではなくて自転車のタイヤがいつのまにかパンクしていて自転車には乗れなくて、1キロ先の方のミニストップまで歩いていくことにした。今の自分には、距離よりも品揃えの方が重要だった。できれば、100パーセント自分が食べたいものを食べたい。妥協はいやなのだ!
 などと力こぶをこめた叫びを無意味にしてしまうのもひとり散歩の効用で、そのちょっとした興奮は好きな野球のことを思い出したからか、恋人のことを思い出したからか、それともさっきオナニーしたからか、腹が減っているからか、色々な理由をいくつも挙げてみるのも無意味な記憶の想起と同じで深夜の散歩のせいみたいだった。とにかく今日はひとりなのでコンドームも買う必要もなくて、あのおせっかいの「頑張ってくださいっ」も聞かなくて済む。

 店に入るとその「頑張ってくださいっ」店長の深夜に似つかわしくないさわやかな「いらしゃいませっ」を浴びせられた。しかし疑問なのは、なぜあの店長はわざわざこんな深夜に店に立っているのだろう、ということだ。家庭もあるだろうに、夜中くらいバイトにまかせればいいのに。それとも、そのおせっかいな性格が災いしてバイトが定着しないのだろうか? ・・・・・・そういう他人に対するネガティブな想像力が働くのはあまり精神状態がよくないということだろうか? 二度寝から覚めてまだ誰とも会話していないのだからそれも当然だという気がした。それともそのあと、昔のメールを見つけ出して読みふけり、その相手との新たな対話を自分の想像で続けていたからか? さっき思い出した野球場でのやりとりも、恋人とのものではなくメールの相手の「○○ちゃん」だったのだろうか? いくつもの疑問詞が浮かび、その疑問詞が浮かんでくる様子が想起される。手品で使われるような「何の変哲もない箱」、上部にちょうど手をつっこむことが出来るくらいの丸い穴が空いている箱から、ふわふわとした風船のようなシャボン玉のような、「?」マークが次から次からわいてくる、というヴィジュアルが頭に浮かぶ。

 そのあいだにミニストップの店内を何周したかわからないが、ふっと我に帰ってみてもまだ何も手にしていなかったので、そそくさと手に取ったシーフードヌードルと、シーチキンマヨネーズのおにぎりを買って帰る。今日の買い物は失敗だと思った。「シーフード」と「シーチキン」の「シー」がかぶっている! これ食べたらまた、寝てしまうだろうな。帰り道は野球のことは思い出さなかった。<つづく>

「オヤマァ、」