人生の偶有性

いきずりの相手に自分の大切にしているものについて喋ったとして、それについてそれから相手がどういうふうにコミットしたのか/しなかったのか僕には確かめる術がない。……ということはとても切ない。具体的には:自分にとって大切な書物、音楽、私淑している表現者などについて、今後会うこともないかもしれない人にかなり熱をこめて話しても、彼/彼女とその後それらについて話すことはできない。今後連絡を取り合う可能性がとても少ないとしても、連絡先を聞いていれば可能性としての話す機会は残るけれど、それもしなかったのでそういうことが起こることはまずないだろう。それでも僕は、彼/彼女の人生にコミットしたことになるのだろうか。熱を持って話したその「熱」が伝わって、僕の話したものにちょっとでも触れて欲しい、というのは傲慢な想いだけど、抑えようもなくある。テレビを点けてたら、パフュームが歌っていた。音楽ってヤツは……。

《とても大事な/キミの想いは/無駄にならない/世界は廻る》(Perfumeポリリズム」)