大橋マキ『アロマの惑星』を読みました。

 大橋マキ『アロマの惑星』(木楽舎、2005年)を読みました。
 元アナウンサーで、アロマセラピストの著者によるアロマにまつわるエッセイ。軽めのエッセイだからといって、からっぽとかテキトーなものとはぜんぜん感じられず、真面目で誠実で、肩肘張らない、という感じの、著者の姿勢が滲んでいるような、とても心地の好い本でした。
 著者がアナウンサーとして「すぽると」とかに出ていた頃、テレビを見て、軽い気持ちで「かわいいなー」とか思っていたのを思い出しました。
 受け手の勝手な気持ちですが、そういう人に、こんな形で再会するのは嬉しいものですね。自分もそんなふうに、少しずつ成長したいな。以下、本書からの抜き書き。

 アロマを利用する上で忘れてはならないこと、それは、香りの体験はとても個人的だということです。ある人には心地いい香りが、他の人にはそうではないことがあります。
(6ページ)

 アロマセラピストをやっていても、これほどの臭いに遭遇する機会は、おそらくもう一生ないでしょう。いや、ないことを願います。鼻の奥のほう、さらには脳味噌の細胞の一つひとつにまで、いまだにニオイがへばりついて取れない、濃度が非常に高く、すこしだけ甘みのある悪臭でした。どろどろのジーパンをはいたまま、堆肥場の水道水で洗い流してみたものの、強烈な臭いが落ちるわけがありません。結局、大きなゴミ袋をズボンの上からすっぽりと穿き、ウェストを紐でしばって臭いを封じ込め、そのまま車で宿へ向かいました。
(22-23ページ)

怖い話のようですが、死期が近づくと、人の体はどことなく「甘み」を帯びた体臭を放つそうです。驚いたことに、花の女王・ジャスミンにも、これとまったく同じ香り成分が含まれているという分析もあります。あの肥溜めにも、香ばしい甘さがあったのを思うと、いまさらながらに背筋が寒くなるようです。でも、香水のブレンディングをするとき、単品ではひどく癖のあるニオイでも、他の香りとブレンドすると、なんともセクシーな印象に変身してしまうことが少なからずあります。ひょっとすると、死臭ともいえる肥溜め臭をすこしだけ混ぜたら、浮世離れした艶っぽい香水ができるかもしれません。
(26ページ)

 私には、ここぞという場面で手放せない香りがあります。むやみに励まされると萎縮してしまうようなとき、フランキンセンスという樹脂の香りは不安を包んで、背中をそっと押してくれます。
(47ページ)

 路地裏の苔に、水分といっしょに苔の厚みと同じ時間の生活臭が染みこんでるかもしれない。そう思って、一度だけ、苔の隅っこを少し頂戴したことがあります。
 豆鉢の土を軽くおさえて水をたっぷりやって<あの>匂いを期待したのですが、どういうわけかぜんぜん違う。もうすでに苔単体の退屈な匂い。なんだか立ち入っちゃならないところに土足で踏み込んでしまったような申し訳ない気持ちになって、結局、いそいそと元に戻しました。
(51ページ)

ドイツの小説にも体臭のない男が芳しい匂いを求めて美女殺しを繰り返す話があったけれど、においのない世界っていうのは、ものすごく薄気味悪いものかもしれません。
(110ページ)

遺伝子に直接働きかける香りの研究まで始まっていますが、もしも香りが薬よりも心身の深い部分に的確に入り込んでいけるとしたら、ゆらゆらと不安定だからこそ魅力的な香りと人間の絶妙な距離感は失われてしまうのでしょうか。匂いはいつだって少し秘密めいているくらいがいいのに。
(117-118ページ)

毛利衛さん 宇宙飛行士
1 ゼラニウム
2 ジャスミン
3 パチュリー
 地球に帰還したシャトルのハッチを開けると、「クルーの2週間分の生活臭が、地上で迎えてくれた人たちには物凄く臭いらしい」と毛利さんが教えてくださったことがあって、無機質な宇宙のイメージとのギャップが印象的でした。この生活臭は仲間内ではきっと不快なものではなくて、温かみのあるものなんじゃないかなあと想像しながら、ブレンドをつくってみたところ、宇宙飛行士のイメージとは程遠い、母性的・女性的なセクシーな香りになりました。不思議な偶然ですが、1960年代に人気だった香水のブレンドに近いことがわかりました。
(124ページ)

アロマの惑星

アロマの惑星