グッドスウィングフィーリング

(以下の日記はフィクションです)

「ゼアシーゴーズ・ギャラリー」の桐野布由子さん。
 ギャラリーに伺うのは今日が二回目で、布由子さんと話すのも二回目。柔らかくて芯のある話し方で、Good Feeling。黒いメガネが鼻筋の通った顔によく似合っていた。

 お店に入ると一声、
「サッカー来ませんでしたね。」
 と布由子さんに言われた。こちらが「こんにちはー。」というより早いくらいだった。
 布由子さんの友人で、週末は店舗兼喫茶になるコーヒー焙煎所の店主、トゥモローネヴァーノウズコーヒーの高橋さんにサッカーに誘われたのだった。でも行かなかったからだ。
「いまは黙々と身体を動かすのが性に合ってるみたいで。あと、サッカー苦手なんです、本当は。野球なら、行ったかもしれないですけど、高橋さんのお店に初めて行った日だったんで、お話合わせちゃったんですよね。」
 とわたしは言った。
 こんな最初の会話から、布由子さんのホスピタリティが垣間見れた。お店という区切られた空間が、心地よさで満たされていた。

 布由子さん「じゃあ高橋さんにそう伝えておきますよ。」
 わたし「あ、今度またお店で、ご本人に自分で言いますよ。」
 
 それからお店にある麦わら帽子のことを聞いた。小さなつばの付いたキャップ型の麦わら帽子だ。妻にプレゼントしたかった。
「これ、すごくかわいいんですけど、けっこう、かぶる人を選ぶんですよね。わたしなんかも似合わなくて。」
 ーーそうなのか、家に帰れることになったら、何か、妻に、家族にお礼をしたいけど、帰れる頃には夏は終わっているだろうな、と思った。これをかぶった妻を見てみたかった。
「帽子は自分でかぶって選びたいの!」
 と妻は言うに違いなかった。それを想像したら少しおかしくて、少し切なかった。

 帽子は○○町にある中島制帽所の製作、三代続く老舗だという。ただの休暇か、出張のついでに実家に寄り、ここへ来たんだったら、ぜったいに買っただろうな。四千円くらいだった。わたしの財布でも買うことができたはずだ。

 それから少し音楽の話。布由子さんの音楽の好みを伺う。ロックは苦手、でもシティポップは好き、昔はソウルやジャジーな音楽のかかる、クラブによく行っていたことなど。女性の年齢に不用意に触れるのは失礼だが、布由子さんは三七歳のわたしと同世代だ。それは初めてのときに聞いた(失礼だ)。けれど、わたしはそんなおしゃれなクラブには行ったことがなかった。わたしの行っていたクラブでかかっていたのは、バッキバキのミニマルテクノとか、ズブズブのドープなダブサウンドとか、そういうのだった。
「最近友人に、山下達郎の『ジャングル・スウィング』って曲教えてもらって、よく聴いてますよ。あれ、すごくいいですね。」とわたし。
「すごい好き。クラブでよくかかってましたよー。」と布由子さん。
「歌詞がいいって友人が教えてくれたんです。
《心のもどかしさを/言葉に出来ないから/9thのコードに託すのさ》
 ってところ。」
「歌詞聴く派ですか?」
「聴かない?」
「そうですね。あんまり。楽器の一部として聴いてる感じですねー。」
(「それ、ミュージシャンの知り合いもよく言ってます。」とは言えなかったが、こういうやりとりも愉しい。)

 カーステレオにMDしかない友人にMDを作ってあげている話をしつつ、もう少し彼女の音楽的嗜好を探って、
「CD何か、焼いて来ますよ。」
 と言った。求められたわけではなかったけれど、
「最近自分で買うことより、人に教えてもらうことの方が多くなりましたね、音楽は。」
 と布由子さんは言ったから、もしかしたら喜んでくれるかもしれない、とわたしは思っていた。期待していた、と言ってもいいかな。

 今度来るとき、バッドチューニングシネマでもらった映画のチラシで、封筒を折ってジャケットにして、持って行こうと思った。タイトルは手書きでメモを貼る。昔の、いや、わたしたちの頃の、中学生みたいに。
 こういう気持ちが伝わったとき、そして音楽を気に入ってくれたときは、本当に嬉しい。
 ーーどうだろうな、あるいは、こういうのを色々どうしようか思い悩んでいるときが一番、愉しいとも思った。

 また来ますね、と言ってゼアシーゴーズ・ギャラリーを辞した。笑顔の美しい女性は話していて嬉しい。最近は、努めて相手の目を見て話すことを心がけている。それが大人の務め、という気がして。今日は、出来ていただろうか?
 妻とも、こういう屈託のないやりとりを、一生続けていたいな、とあらためて思う。
 今はそのための準備期間だと言い聞かせて、自転車を走らせた。弟が高校の頃使っていたものだ。実家にはこの一台しかない。
「友だち作戦」すなわち、わたしが友だちを作りたくていきなり友だち付き合いを申し込む、という非礼をした、某セレクトショップの女性スタッフの方にお詫びの挨拶に行こうとも思ったけれど、雨が降りそうだったし、今日はこれでいいんだ、今日の分は、と思い直してそのまま帰ることにした。
 帰り道、何でもない鉄塔をスマートフォンのカメラで撮って、遠くにいる友人のひとりにLINEで送った。ライムスターのこんな歌詞を思い浮かべながら。

下町の方でタケノコのように伸びてく白い電波塔は
赤い電波塔より鮮やかな未来像(ヴィジョン)届けてくれるんだそうだ

 ライムスター「POP LIFE」、マミーDのヴァースより。

 そうそう、セレクトショップの女性スタッフ、あのお姉さん、お姉さんといっても自分より年下だけれど、名前すら知らないんだった。そんな人に、いきなり「友だちになって下さい。」も何もないよな、いまにしてそう思わずにはいられなかった。

(おわり)