この世界。

《自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができる気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分が自由に出入すべき通路をふさいでいる。》
 少し顔をうずめて、首もとにはネックウォーマー、頭にはウォッチキャップをかぶり、暖房をかけて車を走らせる。膝のうえにはフリースのブランケットを広げてある。
 できるだけ朝日を正面から浴びるような向きに、車を走らせる。
 ステレオからは音楽は流れない。
 ふいに携帯電話が鳴る。たまたま昨日、設定したメロディが流れる。
「大人だろ、勇気を出せよ。大人だろ、知ってるはずさ。悲しいときも涙なんか、誰にも見せられない。」
 メロディに乗せて歌われる歌詞は簡単なことばでも、チープなことばでも許される。別の価値を生み出す。わたしは昨日こどもに読み聞かせた絵本の文章を反芻していた。もう何度もなんども読んだ本だ。
ダーウィンはまず、地面の上においたものがミミズのフンでしだいに埋もれていくのを、直接自分の目でたしかめようと考えた。
 ウェジウッドおじさんと観察したときには、牧草地を掘って、10年前にまかれた石灰が地表から7.5センチ下にあることをしらべた。でもその10年のあいだに、だれかが土をかぶせたかもしれないし、ほかの動物や雨や風が土を運んできたのかもしれない。ミミズのした仕事だということをたしかめなくては。
 1842年12月20日ダーウィンは手押し車にいっぱいの白亜の破片を運びこみ、家の裏庭につづく牧草地の一角、数メートル四方にばらまいた。この場所なら、毎日観察することができる。
 それにしても、この実験はいったい何年かかるのだろう? おじさんとしらべたときのことを考えると、白亜が埋まって見えなくなるまででも、数年はかかるだろう。ミミズがたがやす土の量をできるだけ正確に計算するには、10年ではたりない。その何倍かの年数は実験したい。このときダーウィンは33歳。少なくとも60歳までは生きていなければ!》
 このときのダーウィンは今のわたしと同い年だった。だからといってそのことに意味はない。意味はなくてもわたしはそれだからこそ、この本を毎日のように開き、子どもに読み聞かせさえしている。
 少し緊張して、わたしは携帯電話を取り上げた。