This is the last song.

 公開されたときに劇場で一度観ただけなのでうろ覚えというかことストーリーに関していえば全然覚えていないのだけれど、ふと人のブログを見ていたら「ダンサー・イン・ザ・ダーク」についての文章があって、

冒頭のシーンを確認するためにネットで少し調べたら、この映画が悲惨な、あるいはお涙頂戴の物語であるという圧倒的な数の感想を目にしたからである。断言するがそれらの人はこの映画を半分しか見ていない。

 なんて書いてあったからちょっと注目して続きを読んでみた。というのもぼくはあの映画はハッピーエンドだと思っているからで(ぼくにはそうとしか観れなかった)、この文章ならそのことをちゃんと書いてくれてるかもしれない、と思ったからだった。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観たのはたしか大学を出るか出ないかのころで、卒論の発表を終えての帰り道かなんかで、何人かでこの映画の話になって、ぼくとあとひとりがそういう見解だった。たしかそいつは文学部でもないのに「ディスクールとしての文学」とかいう題で吉本ばななを考察する論文を書いていた。
 かんじんのそのブログには、最後のほうに、

セルマの前にカーテンは閉められて、やがてカメラはゆっくりとスムーズに動き始める。その瞬間、私たちはカメラの動きを「現実」そのものとして経験するのだ。そのカメラの動きはすでにセルマの空想にも、物語の中の現実にも属していない。

わずか十数秒のショットがこれほどまでに「現実」として現われているのを見たことはない。

 というふうに書いてあって、「ハッピーエンドだ」と書いてあるわけではなくて、現実と映画の狭間のことが書いてある。「ハッピーエンドだ」と思いつつも観ているあいだは気持ちが重たかった記憶があるので一度しか観ていないのだけれど、もう一度観てみようかな、と思った。