晴れた日は学校を休んで

 昨晩は遅い帰宅ののち4時近くまで本を読んでしまって(米澤穂信、すごい)、朝はねぼうしかけて3分で着替えて職場にダッシュ、夜になった今は、やるべきことは身体と頭が働かないのでやれそうになくて、そのひとつが今度盟友パタゴニアン・オーケストラとともに出す本+CDの作品集「夜明けまで」の宣伝で、近いうちにここニちゃんと書いたり、特設サイトとかフライヤーとか作ったりしなきゃだけど、とりあえず、写真で見せたある人に、「みすず書房の本みたいで素敵ですね」*1との言葉をいただいたハイソなできばえとなった装丁をちらっとお見せします。

 ちなみにみすず書房の本はこんな感じ。どれもかっこいいっ。


 あと最近更新できていないので、GWに書きかけた日記を、途中までだけれど。

■2009年5月5日

 だが他人は他人で、だから葬儀の帰りに所沢の野球場に寄って、リーグ優勝への天王山となったダブルヘッダーを観戦したりした。夫婦で喪服のまま、はじめてウェーブというものに参加したりもした。そうしながらそれが、しかし、お婆さんのいいつけであるようにも感じていた。
平出隆「猫の客」65ページ)

 五連休は本を読んでいた。こまごまとしたことはいくつかあったけれど、「何をしていた?」と訊かれれば「何もしてない」か「本を読んでいた」としかいいようのない休みだったと思う。
 はじめの三日間、パソコンで作業をしたり、その作業のための道具を電気屋に買いに行ったり、夜や夕方に近くを散歩したり、昼寝したりの合間や、うちや外で昼食を採りながら、トイレで用を足しながら、テレビで巨人ー阪神戦を見たりしながら読んでいたのは田中小実昌「自動巻時計の一日」で、それを読み終わると休みの後半は、この休みのあいだに古本屋で買ったくらもちふさこのマンガ「おしゃべり階段」をあいだに挟みながら、平出隆「猫の客」を読んだ。
 静かな余韻の残る小説だったが、読み終わるとすぐにチェーン・スモーキングならぬチェーン・リーディングといったかっこうで、長嶋有「夕子ちゃんの近道」へと移った。「夕子ちゃん」に移ってもときおりチェイサー(?)の気分で「おしゃべり階段」を読むのだが、「おしゃべり階段」はチェイサーというほどあっさりとしたものではなく、中学〜高校と移り変わる学校生活、みずからの恋に翻弄される巻き毛の女の子の逡巡に、ついつい引き込まれてしまうのだった。
 休みの前半は陽光に恵まれ、5月3日は昼前から田辺市というより白浜にほど近い、「BIGーU」という図書館やカフェのある公共施設に本を持っていった。着いてすぐに、昼食を当て込んでいたランチバイキングのカフェに行こうとしたところで財布がないのに気づき、こういうことはこの休みちゅう体調があまりよくなくて家にいる妻が一緒にいればありえないのだが(「財布持った?」「ケータイは?」「戸締まりの確認!」)、その妻に電話をするとやっぱり家に財布を忘れていて、ちょうど出かけようと思っていたという義妹が持ってきてくれることになった。
 カフェのテラス席の前も広い中庭になっていて、ベンチが散在している。そのひとつに腰を下ろし、少し暑いくらいの陽射しをまともに浴びながら、そのうちに仰向けになり、直射日光を文庫本で遮りながら、妹を待っているあいだ「自動巻時計の一日」を読み続けた。
 財布を持って妹が来てくれて、一緒にランチ・バイキングを食べて、近くの新庄公園でやっていたフリー・マーケットを覗く。人はたくさんいるが、めぼしいものはなく、妹と別れて公園の傍らの市立美術館に行く。「両洋の眼」展。






 5月3日にあのベンチで本を読んでいたぼくは、あの日あの時間の和歌山県田辺市でいちばん、充実していた。

*1:みすず書房の本なんて、レヴィ・ストロースの講演集『神話と意味』くらいしか持ってないな。