夜が朝に変わるように

 もう一つ、ダーウィンの進化論は「変化(進化)には目的も方向もない」ということをその主張の最大の中心にしている。
 生きものが「何かのために」生きている、などという言い方は、生きものの行為の結果を観察した人間が見たことを表現するために、かってに後からした説明にすぎない。ミミズは地球の表面を変える「ために」生きているわけではない。彼らの生の結果が、大地を変えただけだ。生きものの行為の結果を見て、それが生きものがその行為をする原因であった、つまり行為に目的があるなどと考えるのは、ぼくらがよくしてしまうあやまちである。ぼくらが目的とよぶようなことをもって生きているものはいない。なぜなら、もし生きものに起こる変化が、あらかじめなんらかの方向に傾いていたら、自然がおこなう選択はその創造性をうばわれてしまう。自然がすることは、ぼくら人間が「意図」とか「目的」とよんでいることを越えている。自然に起こる変化は「ただ変わる」とでもいうしかないことだ。だからこそ自然なのだ。
 ダーウィンは固定しているように見えるものも、つねに無目的無方向に変化しているという進化論のモチーフを、ミミズについて書いた生涯最後のコンパクトな本で、ぼくらにつたえようとしたのである。ミミズの本には発表の直後から現在まで誤解されつづけてきた進化論で、ダーウィンが伝えたかったことのエッセンスがわかりやすく示されている。
佐々木正人アフォーダンス入門 知性はどこに生まれるか』(講談社学術文庫)44-45ページ

 昨日は朝から妻の母方の祖母の見舞いに和歌山市に行って、行きはぼくが運転しながらいつものように大声で歌い、見舞い、昼食、買いもので3時ごろには折り返し、帰りを運転していた妻は、寝たきりになってしまった祖母を思って少し泣いていた。

1.
 色々なことがあった今年ももうすぐ終わりで、年の瀬のあわただしさは関係ないふりをしていても自分たちの生活のなかにも感じられる。
 テレビやPCのモニターや、新聞の活字の向こうで報じられる混乱や危機を、「関係ない」とか「そんなことには動じない」と考えられるのはある種の才能で、今日も朝のシャワーで壁に新聞を貼って読んでいた経済面では、サブプライム・ローンに始まる世界的な金融危機、経済危機を「読み解く」なんてコラムが掲載されていて、「どうでもいい」と思いながらも、
 「なんで(頭がいいと思われ、自分でも思っているであろうこういう世界にいる)人間は、もっとこういうふうに考えられないんだ。」
 とか、
 「こんなの、こんなふうに考えればこんなことはニュース=問題にさえならないじゃないか。」
 というようなことを考えてしまって、ニュースという枠組みのなかで「問題」が俎上に上っているということが、そんなことを考えなくてもいいはずの人間に対して、そういうことを考えさせてしまう、ということだと思った。

2.
 この街で2年目の生活、そして1年目の結婚生活となった今年は、人と人との結びつきや出会いや時間の積み重なりや、何かや誰かを思うことと、それをちゃんと形として表に出すことの大切さについて、改めて感じた1年だった。
 知らない街に来てたったの2年で、素晴らしい友人たちやその音楽や芸術にであい、彼らの話すおもしろおかしく示唆に富んで、深淵だったりバカだったりしょうもなかったりする言葉を浴びて、素晴らしい伴侶がいて、遠い家族や友人のことを思い、どうにかこうにか仕事もこなし、自分のやりたいことを、少しずつでも形にできた(これについはさらに来年が勝負だと思う)年が終わりに近づき、年の瀬なんて呪術的か科学的か、とにかく昔の人や今の人の何かの都合で便宜的に決められたことで、「関係ない」という気分でいつもいたはずなのに、ずいぶんそういうことに(感情としても、行動としても)流される自分に気づいて、「それも悪くないな」なんて思う。

 知らないことがおいでおいでしてる
 出かけよう口笛吹いてさ
 びっくりしようよあららのら?
 調べて納得「うん、そうか!」
 おもしろ地図を広げよう
 探検 発見 ぼくの街
(「たんけんぼくのまち」テーマソング)


3.
 今年のベスト・ソング&ブックを少しずつ。

「刹那的なもの」を肯定する歌は大好きで、今年最後の1ヶ月を駆動してくれた。ポップソングはいつだって、そういうもの。

  • Patagonian Orchestra「夜明け前」

 パタゴニアン・オーケストラの曲でこれより好きだと思う曲は他にもあるのだけど、なぜか心にひっかかり、色々なことをするきっかけになった、ぼくにとって「2008年」を象徴する、2008年の通奏低音のような曲。あと何年かして、この年を思い出すとしたら、この曲だろう。ぼくもこういう、自分の思いを託す価値のあるものをつくりたい。 

  • the pillows「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」

 今年久しぶりに行ったライブで聴く。「無邪気だった季節をちょっと引っぱり出」すことにかけては右に出るもののないピロウズの曲のなかでも白眉。ライブの次の週が今年いちばん記憶に残ったキャンプの夜で、それをきっかけにしてそれから約1ヶ月半をかけてやったあることのなかで、「無邪気だった季節」=10代についてずいぶん考えたのは、この歌に引っ張られたところもあるのだと、今にして思う。

  • 長嶋有『ぼくは落ち着きがない』

 今年はあまり小説を読まなかった。そのなかで、「読めてよかった」と思えたいちばんの小説。「我々は生きている。生きているというのはもちろんそれは、常に連続して生きているのに決まっているわけだけど、なにげなく演じたり、芝居がかったりする。そのとき少しだけ、ただ生きているのと違うことをしている。」(本文より)。くだけた調子のなかに、たくさんのことが響いていて、今まで小説には描かれることのなかった、気分やキャラクター、雰囲気、「場」そのもの、そんなものが描かれていて、そんなものの響きあいが、「世界ってこうだよっ!」と感じさせる。

 マンガもたいして読んでないけど、これと、よしながふみの『きのう何食べた?』、高野文子『絶対安全剃刀』は本当によかった。こういうふうに世界を見たい、こういうふうに世界があってくれれば(こういうふうに描かれうる、ということは、世界はこういうふうに「ある」んだろう!)、そう思えるフィクションを読むと、ほんとうにうれしくなる。こんなふうに何かと何か、だれかとだれかは繋がっている。繋がっていることの中身ではなく、繋がっていることそのものが、幸福だということを知った。

 何といっても高野文子のペーパー・クラフト。今年みた、いちばんの芸術としても(こんなふうな「美しさ」は、いままでみたことがなかった)。

 来年もぼくやあなた(そう、あなたのこと!)にとって、いい年でありますように。

 私はきっと、彼女に教えてあげたくなる。あなたのその、本当に楽しい毎日が過ぎていっても、また違うかたちの、その年齢でしか受け取れない楽しみはたくさん用意されているはずだから、たくさん笑ったあとで、かなしく思うことなんて本当に何一つないよ、と。でもきっと私はそんなことは言わない。彼女が眉間にしわを寄せるようなことは言わない。私はただ、三十二歳のマイニチについて、できるだけこまごまと話し続けるんだと思う。陽が暮れるまで、ひょっとしたら夜が朝に変わるまで。
角田光代「マイニチ」(『愛してるなんていうわけないだろ』中公文庫)173ページ