行きつ戻りつ

 へらへら過ごしているようで気分としてははっきりと停滞していてその理由もはっきりとわかっているのだけど、これがまたなかなかうまく行かない。10月上旬から11月初めまでの約1ヶ月、「浅く潜っている」と感じていたときの感じとは全然違っていて、あのときは毎日少しずつ進んでいた。
 だけど先週は一人でいる部屋に別の一人が遊びに来て遅くまで話し込み、今日は今日で二人の部屋に別の二人が遊びに来てくれて話し込んだ。男でも女の子でも、ふざけたこともマジメなことも、一生懸命に話している人の顔が好きで、好きな人が一生懸命に話しているのが好きだ、と改めて思う。楽しくなってくると自分の話をついついたくさんしてしまうのだけれど、もっともっとこの人が話している顔をずっと見てたかった、と別れるときにいつも思う。
 「インプットとアウトプットのバランスは大事だし、インプットがなければアウトプットはできないよな。」なんて書いてしまうとアウトプットのために生きているみたいに聞こえて一生懸命に喋ってくれる人に対してある意味では失礼じゃないか、ということにもなるのだけど、それ(=アウトプット)は自分という人間の性(さが)だと思って諦めるしかないか、諦めるなんて言葉を使うと「アウトプットする」という能動的なことというよりももっと受動的な何か、という感じがするけれど、そういう受動的あるいは自発的なアウトプットこそが、世界に祝福され、世界を祝福するのだと信じる。