宴のあと

 素晴らしい絵と音楽のピースフルな宴のあとでは、今朝方4:30頃帰宅していかに眠たくてもすぐに寝られない。「オフィシャル・ブートレグ」などといってICレコーダーに録音した昨晩の音楽を早速iPodに入れて聴きながら、フトンのなかで本を読む。

その気配に目を覚ました僕は、彼らを見送ってからテッドに二階に案内されて、息子のベッドに寝かせてもらう。思春期の男の子特有の匂いがシーツに染み付いている。たぶん万国共通だ。音楽が好きで女の子のことを考えたりタバコを隠れて吸ったり、大都会でもジャングルでも戦地でも、思春期の男の子の営みの本質は、世界中ほとんど変わらない。
森達也『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』ちくま文庫、68ページ)

 このあいだから死んだ友人がかつて貸してくれた雑誌のグレイトフル・デッド特集を読んでいた。グレイトフル・デッドはほとんどまともに聴いたことがないが、中高生の頃に音楽雑誌に書かれている言葉だけで想像を膨らませて音楽を鳴らせていたように、音楽を鳴らしてみる。

でも、今よりほんの少しだけ、ひとりでうじうじと悩んだり溜息をついたり考えたり首を傾げたり煩悶したりする時間を、もっと皆が意識的に作ったら、今のこのなし崩し的な世相や、それによって形成される社会も、ほんの少しだけ変わるのではと思っている。
(同書、23ページ)

 昨晩聞いた、『寄生獣』が流行った中学生のころ、仲間うちでちんこに名前を付けるのが流行ったという話がよくて、ドラマ『セクシーボイスアンドロボ』の「バテレンレンコントマトハマックス』みたいなマジック・ワードかもな、と思う。「ちんこに名前をつける」ということが。「『寄生獣』読んでちんこに名前をつけるのが流行った。右手じゃなくて」という話ぜんたいが。