人生の行間

 読み返してみても前の二日の日記は重たくてどちらかというと書いたことを後悔するような日記だが、この屈託は紛れもなくてこうでもしていないとやれない。その「やれなさ」は日々の行動にも表れてくる。寝る直前、それこそ0時過ぎ〜1時前くらいに「文庫」に行き読んでいない本を(これから読む時間などないのに)引っ張り出してみる。

 「文庫」で本を眺めていると、自分が全然読んでいないことに気づく。「趣味は読書とカラオケ」とか言いながらものすごく守備範囲が狭いのだ。元巨人の元木みたいだ。今日は帰ってきたらボストン・レッドソックス×オークランド・アスレチックスMLB開幕戦をやっていた。既に松坂は降板している。それが理由ではなく、全然気持ちが高揚しない。ここしばらく、野球を見て、気持ちが高揚していないような気がする。気のせいかもしれないが。球場に足を運んでいないからかもしれない。
 先日は妻の実家の建替えのための引越しの手伝いをしながら、暇をみつけては松坂をイメージしながらシャドウピッチングを繰り返していた。運動音痴で運動不足でもあり、軸足がぐらついてイメージ通りいかない。しかも僕はサウスポーであり、人が見ても松坂の真似をしているとは思わないだろう。
 「人生に行間はない」のと同時に、「文学にも行間はない」というのが今の僕の実感であり、刻まれた時間と文字が全てである。