人生の屈託を歌に仮託

 最近は気持ちが屈託してばかりで、あと数ヶ月で30歳だというのにどうしたことかと思うんだ。
 少年のころは、大人になればもっと人生はカンタンなんじゃないか、と思っていたんだけど。少年時代に接した大人というのは親とか親戚とか学校の先生とかで、彼らは屈託した少年だったぼくなんかからみたら、シンプルな世界に生きているように見えてた。
 だけど本当はぼくの「屈託」がシンプルだっただけで、屈託した少年から見える大人たちの「内面」が、すごく雑だっただけなんだ。今ならよくわかる。君もそうだろ?
 土曜の夜のライブは素敵だったな。それで素晴らしい音楽を聴いたあとは、ピースフルな仲間たちの宴に招待されて、いわば「忘れちゃうひととき」。

Feeling Nice Feeling Nice 突然のひとときを/だれも止めないで いつも いい気にさせておくれ

Free Time 忘れちゃうひととき/Free Time いとしい人

Fishmans「忘れちゃうひととき」より)

 でも宴のあとは、家に戻っても気持ちが高揚して寝られないんだ。そういうのはいつまでたっても直らない。今の「屈託」は大人になったゆえの人生のcomplexityだとも思うんだけど、「三つ子の魂百まで」ってことでもあるんだよな。結局はさ。「忘れちゃうひととき」は、こんなふうに終わったっけ。

僕は何も見たくない/今は何も見えやしないよ

僕は何も見たくない/今は何もない