#3

 ぼくの書き方は全然厳密じゃない。
 ぼくは文章において論理的に無矛盾かどうか、ということは問題にならないと考えているが、もっと厳密に語らなければならない、とは思う。昨日の書き方ではぼくは、相撲を「知識として」しか知らない、と書いたことになるが、本当はそうじゃないんじゃないか。
 千代の富士の53連勝――「千代の富士の53連勝」と書いてしまうと、「やっぱり知識じゃないか」と感じられてしまうが――その53連勝をぼくはテレビの大相撲中継で毎日見て、はらはらどきどきしていたのではなかったのか。千代の富士の連勝を止めたのは子どもの眼から見ても「冴えない」横綱大乃国だったことも憶えている。
 そういうことを思い出すと、小学5年生のとき、西武ライオンズの大ファンであった南里先生のクラスで、昼休みに教室で先生と一緒に日本シリーズを見たことや、両親や兄弟と今はなき平和台球場で日ハム―阪急戦を見て、降雨ノーゲームとなってしまった試合の中で3本もの「幻のホームラン」が生まれたこと、そのときの一本は「イースラー」というアッパースイングの外国人選手だったこと――、そんなもろもろが際限なく思い出される。
 ぼくの小5といえば‘89年で、‘89年といえば日本シリーズのカードは巨人―近鉄加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」発言を契機とした、巨人の3連敗4連勝という伝説的なシリーズ。しかし南里先生のクラスで見たのが当時の常勝軍団・西武ライオンズの出場していないシリーズということがありえるだろうか。そんなシリーズを、わざわざ南里先生はぼくたちと学校のテレビで見ようとしただろうか。やっぱり西武じゃなかったのか。ぼくは計算を間違えているのかもしれない。(前後の88年も90年も西武の日本一で終わっている)
 記憶の波をたゆたうことが、イコール厳密である、ということではない。
 そんなことはわかっているさ、と思いつつ、こういうことは始めてしまうとなかなか止められないものだ。