2015年3月17日

 少しのことで気持ちの余裕がなくなる。
 いつでもそうやって、家族と喧嘩になる。しかし職場や、友人たちと喧嘩になることはない。
 自分でも巧妙に、そういうことを避けているのだと思う。
 他の人に聞いたこともないからわからないが、よくあることというか、誰も多かれ少なかれ、そんなことがあるんじゃないか、とも思う。
 でも所変われば、とも思われて、地域や国が変われば、ものの考え方や行動原理が違うことを、知識としては持っている。
 しかしそういうときの「知識」ってなんなのか。
 本やネットや伝聞で知ったことを、わたしは知っていると思う。そのことに異論はないつもりだ。このわたしが体験したことと、わたしが小説で読んだこと、映画で観たことと、価値の優劣をつけるつもりはわたしにはない。
 現実と地続きのような括弧付きの「リアル」なドラマも、荒唐無稽なSFもファンタジーも、同じように好きだし、人でなしの悪漢も、底意地の悪い上司も同じように嫌いだ。
 だからわたしたちは、「わたしたち」というのが不遜なら、わたしは、実感が得たくて電話で子どもの声を聴き、ご飯をどか食いして出てきた腹とにらめっこして、スピーカーやイヤフォンから流れる歌に身をまかせて、今日をやり過ごす。
 いつか死ぬ、そのときまで。